雑談。

TOPページに戻る


2005年10月22日
 鉄道データファイルについては、結構執筆者による、誤解、誤認、思い込みと思われる記述がその後も散見されますので、別ページに纏めて随時私自身の見解を述べてゆく事としました。興味のある方は、お手数でもTOPページから、「鉄道のページ」→「鉄道データファイルを読む」へとお進みください。
 ディアゴスティーニ・ジャパンの鉄道データファイルの編集担当者に置かれましては、お忙しいとは思いますが、執筆者から受け取った原稿に少なくとも一回は眼を通していただき、書かれている内容で読んだ人が理解できるかどうかだけでも確認していただくよう、切に希望致します。

2005年8月22日
 何度か引越ししているうちに、鉄道関連書籍も大分処分してしまっているんですが、昨年から週刊鉄道データファイルというのがデアゴスティーニ・ジャパンから刊行されているので情報の整理を兼ねて創刊号から毎号買っています。しかし・・・
 下記の様ないい加減な部分が散見され、大変残念です。

 ●3-008
「あさま」 36-22ページの写真は189系電車ではなく、489系電車。正面に貫通路(固定されている)はあるし(愛称表示機は小さい)、運転台上に前照灯はあるし、側面の客用ドアは各車輌1箇所しかなくステップはあるし・・・。

 ●7-007
軸箱支持方式のいろいろ
 下の解説
「ペデスタル式は旧型のイコライザ台車と新性能電車のコイルばね台車の2種を示す」
  →図の旧型の台車には前後の軸箱を結ぶイコライザがない。従ってイコライザ台車ではない。
 図:IS式の軸箱右側のばねが描き忘れ。
 シュリーレン式:円筒がオイルダンパ兼用になっているのがシュリーレン式。近畿車輛がスイスのシュリーレン社との技術提携によって製作した台車であるが、執筆者はテクノロジー事始めのコーナーで円筒案内式の一般名称として定着したとしている。しかし、当の近畿車輛自身も乾式を製作しおり、近車式円筒案内式としていてシュリーレン式と区別している。近畿車輛のサイトで技報が公開されている。
 どうも、見た目の類似性から乾式をシュリーレン式と誤解されたのが一人歩きしたと見るのが妥当のようで、執筆者もその誤解の上に立ってしまっているは残念だ。
 シュリーレン式の解説で「外側にオイルダンパを備えているのが普通」というのも意味不明である。そもそもシュリーレン式は円筒にダンパを兼用させており、別にオイルダンパを設ける理由がない。近畿車輛自身、ダンパが必要な車輌向けには、継続してシュリーレン式を製造しており、わざわざ乾式にしてオイルダンパを設ける理由もない。
 シュリーレンという名に妙に執着している一方で、1953年に京浜急行600形で採用された軸梁式の台車が川崎車輌製のOK式である事に触れられていなかったり、ペデスタルにはばねの配置により数多くのバリエーションがある事には全く触れられていないのが残念、と言うか、データファイルの名にに似つかわしくないと思う。それに、電車以外の台車に触れられていないのは何故だろう?
 あ、もう一つ見つけた。テクノロジー事始めのところで、アルストム式が1953年に小田急電鉄デハ2100型で採用されたとあるが、2100形は軸ばねのペデスタル式軽量台車、住友金属FS-14を履いており、完全な間違い。アルストム式は1954年の2200形の住友金属FS-203が最初である。

 ・・・信用してもいいのかな。今まで訂正記事が載った事は無い様だが。鉄道データファイルの関係者の方々のリアクションに期待します。

2005年8月1日
 鉄道関連のサイトは結構見に行きますけれど、意外と生徒さんとか学生さんがサイトを持っていたりするのね。
 僕も鉄道にハマったのは結構早くて、小学生の頃だった。
 しかし、やはり勉強が本分だと思うのよ。
 今は、インターネットで高校受験とか、大学受験の情報収集出来るのね。
 私自身は、最近は、出身大学(何処とは言わないが)のサイトを見て、お世話になった先生方の健在ぶりを見て懐かしんだりしています。

2005年7月27日
 ところで、最近もてはやされるブログってなんだろうって思います。私みたいにこういう雑談ページ作ってチョコチョコ書き込んだって、そう違わないような気も。でもまあ、ブログってなんだろって思っている事は確かなんで。
 とりあえずランキングでも見て、ちょっと考えてみましょうか。

2005年6月30日
 検索エンジンからJR東日本のE991系電車TRY-Zの情報を求めてこのページに来られた方へ。「戻る」をクリックしてトップページにおいで頂き、その先は御自分で情報をお探しください。しかし、わざわざE991系電車の解説ページをこしらえてあるのに、検索エンジンはなぜここにリンクを張っているんですかね。また、なんでここだけ見て情報がないと思い込んで去ってゆく人が多いんですかね。少し掘れば色々出てくる、それがインターネットなんですがね。2000年10月24日の項も参照。

2002年3月10日
 小田急がダイヤの変更を発表した。江ノ島線は、毎時2本の急行を湘南急行と名称変更して藤沢折返しとして長後、南林間は通過。区間各停を毎時1本急行に格上げして辛うじて、先に挙げた2駅と、鵠沼海岸、本鵠沼、を急行停車駅と残すという策を打っている。各車両に「快速」表示機能があるにも拘らずそれを使わず、わざわざ「湘南急行」という種別を新設するには、後々急行停車駅の整理をする布石と考えられても仕方なかろう。同時に新設される「多摩急行」にも同じ事が言えそうだ。

2001年4月10日
 今月の小田急の広報を見ますと、快適な環境は乗客の協力が不可欠との論旨です。
 至極尤もな感じもしますが、小田急職員が、喫煙所以外の場所や禁煙タイムにタバコを吸っている人を注意したのを見たことがありません。
 座席の定員がけにしても然りです。しかし、今から5年程前の春、若い車掌が車内を巡回しながら座席の定員掛けを呼びかけ、7人崖の所に6人以下しか座っていないような所では詰め合わせる様に頭を下げてお願いして一人でも多く座れるように努めているのを見たことがあります。小田急も変わったな、とその時はその光景を眺めていたのですが、それ1回きりでその後1回も見ていません。
 その車掌が今どうしているのか知りませんが、この若い車掌の行動を他の小田急職員が「そこまでする必要はない」とやめさせたという事も想像に難くありません。
 真に残念という他はなく、今月の広報を見ても、乗客に呼び掛けるばかりで小田急職員が何とかしようという姿勢が感じられません。
 今思い出したのですが、中年の車掌が車内で携帯電話を掛けていた女子高生に直接注意しているのを見た事があります。その女子高生は車掌に悪態ついていましたっけ。これもこれ1回限りでした。
 良識ある一部の車掌さん達、大多数のグータラ職員の圧力に屈せず頑張れ!
 小田急はアルバイトの駅員が多すぎるのも問題だと思うのですが。

2001年3月6日
 もう既に先月号になってしまいますが・・・。鉄道ジャーナル2001年3月号103ページの「2000年度上半期私鉄車輌の動き」(東京工業大学鉄道研究部)の2600形インバータ改造車の記述はデタラメです。以下に引用します。
「輸送力増強のため1993年に6連から8連に組み替えられた通勤車2600形のうち,次期新造車両への礎石として4M4TのVVVF制御車に試験的に改造された編成1本が所期の目的を達して廃車された.インバータ装置は2000形や30000形に引き継がれている.」
 当ホームページの小田急2600形の項をご覧になれば間違いに気づかれると思いますが、確かに2600形の8連への組み替えが始まったのは1993年2月からですが、組み替えが行われたのは1993年だけではなく、1995年2月まで継続して行われています。組み替えにより余剰となるT車をインバータ駆動による電動車化して8連1本を組成したのは1995年1月。1994年に2000形が登場した後の事ですので事実誤認も甚だしいです。実際、この編成では保守の共通化を図るために2000形で既に採用された物と同一の制御装置が搭載されています(ブレーキ装置は種車の都合で2000形の物ではなく、1000形と同じ物が装備されています)。この編成の廃車発生品の制御装置は今年度の2000形新製車に転用されています。1986年に2762がインバータを積んでテストした事と混同しているのでしょうか。ちなみに2762は電装解除されてまだ元気に走っています。
 11月10日の項でも述べましたが、編集部のしっかりしたチェックをお願いすると同時に、東京工業大学鉄道研究部の諸君にはたとえ趣味の集まりといえども、いやしくも公の出版物に情報を提供する以上は、真面目に調べていただきたい

2001年1月14日
 久しぶりの更新です。実はマシンのマザーボードをIntel TC-430HX(MMX200)からAOpen AX3S-Pro(セレロン700)に交換。なかなか落ち着かないのですが、パソコンをいじるのが目的ではないし、取敢えずフツーに動いている感じなので、またボチボチ行きます。

2000年11月10日
 小田急9000形の4両編成の片側の運転台機器の一部撤去について、殆どの鉄道雑誌がここ数ヶ月の間に取り上げていますが、乗務員室ドアの窓(左右と客室との仕切りの3箇所)をスモークガラスに交換したかのような記述は誤りです。実車を良く見れば分かる事ですが、ガラスは交換されておらず、単にスモークフィルムを内側から貼っているに過ぎません。恐らく無責任な投稿記事だと思いますが、各誌編集部は投稿を鵜呑みにせず、掲載するにあたってしっかりと裏づけをとるべきだと思います。鉄道雑誌は将来、資料として参照されることもあると思われますので、各誌は責任感を持って編集にあたると同時に今回の件についてはハッキリと訂正記事を載せ、安易に投稿記事を載せない心構えが必要です。この一件で、他の記事も眉唾で見る必要が生じる事と相成りました。

2000年11月1日
 東日本旅客鉄道 武蔵野線 新座駅にて。
 (自動案内放送の音声)「1番線に、列車が参ります。黄色い線の、内側に、下がって、お待ちください。」
 ---との事なので、暫く待つ。
・・・・・・・・どどどどどどどど・・・・・・・・
 おひおひ、客に貨物列車の通過待たせてどうする?(-_-;)

2000年10月24日
 重箱の隅をつつくようで何ですけども、今@NIFTYでホームページグランプリというのをやっていると言うので見てきました。そしたら応募フォーマットのページタイトルが「スケジュール」となっていました。本来「応募フォーマット」とすべきでしょう。恐らく「スケジュール」のページをコピーして変造して作ったものでしょうけれど、タイトルを直し忘れるという事はありがちな事で、私も他山の石としようと思います。
 さて、今回の更新では、蒲原鉄道の写真を大々的にアップし、一応の完成としました。同時に蒲原鉄道、新潟交通のページにブックマークを追加しました。少しは見やすくなったでしょうか。
 それと、トップページのタイトル写真をJR東日本のTRY-Z(E991系)に差し替えました。中央線で廃車前の最後のテストを行っていた時のもので、塩尻駅構内を甲府方に向け発進してゆくところを、1998年9月に撮影したものです。この実験の結果、JR東日本はE351系の継続増備をあきらめ、同時にスピードアップもそこそこにするものと決めたようです。E991系とは、一体何だったのでしょう。期待された通り在来線のスピードアップに寄与するデータを残せたのでしょうか。近々登場する中央線特急の新型車の登場に合わせてE351系のリニューアルをするそうですが、新型に合わせてデチューンをするのではないか(振り子機能を殺しちゃうとか)と嫌な予感がします。E351系がJR東日本の最初で最後の振り子電車となってしまうのでしょうか?

2000年10月9日
 新潟交通の手持ちの写真と資料をほぼ出し切りましたので、一応の完成としました。
 私は、なくなってしまったものに対してその後を追うつもりはありませんので、最終的な生きた姿の記録をとどめることを主眼とし、その後のことは他の人に任せたいと思います。
 そもそも、新潟交通、蒲原鉄道に関しては、1998年春に色んなホームページを見て回った結果、欲しい情報が殆ど集まらず、では、と自分の蔵書を漁って情報を繋ぎ、個人的な資料として纏めた物です。
 従って、これを公開すれば他のホームページにない情報として提供できるはずであり、それがこのホームページを立ち上げた理由の一つであったりします。
 今後は蒲原鉄道の写真をアップしてゆこうと思います。

2000年10月3日
 小田急のダイヤ変更(改正と言いたいところですが、正したと言えるほど改善されているとは言い切れませんので変更と言う表現を使わせてもらいます)の概要発表。ま、もとより多くは期待していないけどさ。
 話は全然関係ないですけれど、アメリカ大リーグのマリナーズの佐々木が37セーブ! もし、彼がベイスターズにいたら日本のプロ野球も少しは・・・なんて野暮なことは言わないで、彼(か)の地での健闘を称えてあげましょう。

2000年9月22日
 アップした写真に、サブで使っていたニコンL35AWAD(ピカイチカリブ)で撮ったものも混ざってますです。忘れていました。

2000年9月21日
 もちっと追加。とりあえず、新潟交通の方の写真のアップを先に済ませましょうか。

2000年9月19日
 とりあえず、蒲原鉄道と新潟交通の写真を1枚ずつ。1998年4月30日に撮ったものです。
 使っているカメラはキヤノンT70、レンズはFD35mmF2S.S.C.とFD70-210mmF4.フィルムはKL(コダクローム200)の他にFUJIとAGFAのネガカラーを使用。スキャナはEPSON GT-7000です。

2000年9月10日
 工事中にもかかわらず、思い切って公開してしまいました。

TOPページに戻る