小田急電鉄30000形2006年6月20日追補

30000形
2005年1月、藤沢。
10連時に先頭に来る車輌(左)と中間に入る車輌で形状が違う。
写真左は最終グループで通過表示灯が省略されている。

本稿は、2005年3月にに本ホームページ用に纏めました。

概要:
 1996年、登場後33年経過しようとしていた主力特急車3100形の置き換え用に投入されたのが30000形である。初代3000形置き換え用の20000形の登場後5年、ほぼ順当な年次で置き換えが計画された事になる。小田急はこれを「EXE」と呼び、車体にも大書きされている。

 JR東日本の湘南ライナーを意識していたと見られ、通勤客をロマンスカーに誘導しようとした意図が感じられ、20mボギー車の10両編成を基本とし、4両と6両に分割して柔軟な運用が組める様にしている。
 結果、座席定員は4連が230名、6連が358名、10連時が588名である。3100形が456名であったから、箱根登山鉄道に乗り入れる6連では減少、10連で運用できるその他の区間では多数の乗客を捌く事が可能である。

 エクステリアはそれまでの小田急車輌とは脈略が無く、車体色は銅色。JR東日本の400系電車やJR九州の787系電車等の影響か当時流行しかけたメタリックになってしまったものと思われるが、実際の窓より大きなガラスを嵌めて上部をブラックアウトするデザインとあいまって、全体的に鈍重なイメージである。小田急も後悔していたと見えて、このほど登場した特急車50000形では一転してこれ以上明るく出来ないくらい真っ白にしている。
 座席は一転して軽快なイメージからゆったりした感じになったリクライニングシートであるが、汚れを嫌ったのか暗い配色で、せっかくの広い車内を狭く見せてしまっている。これまた50000形では一転して軽そうな座席になっており、小田急のポリシーの無さがロマンスカー全体のイメージを下げてしまった感もある。

 機器構成はそれまでの特急車とは関連があまり無く、2000形に近く、台車は住友金属製のモノリンク式ボルスタレス台車で電動台車がSS146、付随台車がSS046で、これは2000形の物にヨーダンパを追加した形になっている。この手法はJRでも行われている。基礎制動装置はシングル式である。
 主電動機は三菱電機製MB-5065Aまたは東洋電機製TDK-6335Aで共に出力195kwで2000形の175kwに対しやや高い。歯数比は98:15=6.53で2000形の7.07に対しやや低い。
 制御装置は東芝製のIGBT VVVFインバータ装置を使用、4両編成30100番台車に電動機6個制御のSVF-024A、6両編成30200、30500番台車に4個制御のSVF-024Bをそれぞれ搭載している。
 制動装置は全電気指令式のMBSA-Rである。
 編成付番は4両編成がクハ30050(30050)+デハ30000(30000)+デハ30000(30100)+クハ30050(30150)、6両編成がクハ30050(30250)+デハ30000(30200)+サハ30050(30350)+サハ30050(30450)+デハ30000(30500)+クハ30050(30550)である。
 30000番台車の新宿方が付随台車である為、実際は4両編成が電動機6個で1.5M2.5T、6両編成が電動機8個で2M4Tであり、小田急にしては異様に低いが、これは電動機の制御を1個単位の個別制御とし、故障時に電動機を1個単位で切り離せるようになった為で、電動機1個開放での運用が可能である。
 10連運用時に4連6連相互の行き来が可能な様に30150番台車と30250番台車には幌の自動連結装置が装備されている。パンタグラフは小田急で初めてシングルアーム式を採用した。

 イメージが一般乗客の抱いているものとズレていたと思われる事と、経済の後退局面では明るさを打ち出すべきところをシックな面を打ち出した為か、流石の鉄道友の会会員の人気投票でも振るわず、ブルーリボン賞を取り逃している。しかし、今こうして見返してみると、イメージはともかく、客を運ぶという観点に立てば、歴代の小田急特急車中でも優れている車輌である。

 1995年度に4連6連各2本、1997年度に4連6連各2本、1999年度に4連6連各3本製造され、結果、4連6連各7本70両が出揃い、3100形7本と入れ替わる形となった。
 製造は10両単位で行われ、最初の50両が日本車輌、残り20両が川崎重工で、一見纏まって発注しているように見えるが、最後の30両は竣工時期が近いにも拘らず2社に発注している。最後に川崎重工に義理を立てたのか、或いは日本車輌のキャパシティの都合なのかもしれない。

 当初小田原線方と江ノ島線方を6連4連で分割併結する運用が基本であったが、4連はかつての3000形5連の定員222名とほぼ同じ座席数であった為、本数増加により江ノ島線特急の座席数が増え、フリークェンシーも向上した。しかし2004年12月のダイヤ変更で午前の江ノ島線特急は「えのしま」が単独10連が基本となり、座席数は増えているものの本数が整理されてしまい、江ノ島線で利用するには小田急の都合に乗客が合わせなければならなくなってしまった。
 4連と6連の組み合わせは原則として末尾番号が揃う様に運用が組まれており、6連の使用列車の走行距離が4連のそれより長い為、4連は折返しの休息が長いという無駄がある。4連の新宿方にも連結装置を装備しておいて8連運用が組めるようにしておいても良かったのではないかと思う。どうせ乗客はこの電車に前面展望を期待していないだろうから。
 尚、改番、廃車は1両もない。

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履歴:
 ●竣工

 1996年1月23日、30051+30001+30101+30151、30251+30201+30351+30451+30501+30551日本車輌
 1996年2月20日、30052+30002+30102+30151、30252+30202+30352+30452+30502+30552日本車輌
 1997年4月25日、30053+30003+30103+30153、30253+30203+30353+30453+30503+30553日本車輌
 1997年5月27日、30054+30004+30104+30154、30254+30204+30354+30454+30504+30554日本車輌
 1999年4月8日、30055+30005+30105+30155、30255+30205+30355+30455+30505+30555日本車輌
 1999年5月31日、30056+30006+30106+30156、30256+30206+30356+30456+30506+30556川崎重工
 1999年6月23日、30057+30007+30107+30157、30257+30207+30357+30457+30507+30557川崎重工

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