小田急電鉄9000形2010年3月1日追補、ページ統合

9000形
1975年頃、藤沢駅にて。
写真の9307号車を含め、地下線乗り入れ時に中間に入る車両の貫通扉両側の手摺はこの後改造により大きくされた。

本稿は、2001年12月に本ホームページ用に纏めました。

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概要:
 帝都高速度交通営団(現東京地下鉄株式会社)千代田線との直通運転に備えて1971年度、1972年1月から製造されたのが9000形である。
 乗り入れに使用されていた期間は1978年3月から1990年3月までであった。

 形式、付番は、4両編成が新宿方からデハ9000(9000)+デハ9000(9100)+デハ9000(9200)+デハ9000(9300)、6両編成がデハ9000(9400)+デハ9000(9500)+サハ9050(9550)+サハ9050(9650)+デハ9000(9600)+デハ9000(9700)である。

 システム的には、2600形の直列11段、並列9段、弱界磁6段、制動18段、及び、5000形2400形の直列25段、並列31段、弱界磁7段、制動55段に対し、9000形は直列11段、並列8段、弱め界磁連続チョッパ制御、発電制動19段回生11段と、5000形よりもむしろ2600形に近い感じである。ただし、電動機は複巻で、回生制動は通常の方式である。
 回生制動は地下鉄線内での温度上昇の抑制を目的に採用された為、制動初速75km/h以上の場合及び他形式との併結時には発電制動が動作する。
 発電制動時の発熱発散の為、抵抗器を強制空冷式にしているのは5000形と同様であるが、地下鉄乗り入れ用の電車でファンをぶん回すとは恐ろしい。
 回生制動を運転現場が嫌った為にこの様な過剰装備になってしまったらしいのだが、後の8000形では回生制動のみとなり、回生制動の不安定な2600形でも他形式との併結運転を行うようになっているから、9000形のみ異常に重装備な電車になってしまっている。実際、床下は機器でギッシリで、保守現場からは嫌われたであろう。運転サイドを説得できなかった設計監理サイド及び保守サイドとの力関係が窺われる。

 制御装置と主電動機は共に三菱電機製で制御装置はFCM-118-15MDRHを4両編成、6両編成共に2台積み、夫々が110kw/375Vの主電動機MB-3182-ACを8台ずつ制御する。
 駆動方式は小田急愛用のWN駆動で歯数比は97:18=5.39。5000形の5.3より高い上に車輪径は910mmから一般的な860mmへと小さくなっているから回転数は5000形に比べ、都合7.7%ほど高めの設定である。
 台車は引き続きアルストムリンク式で住友金属製。電動台車がFS-385、付随台車がFS-085である。共に車輪径は860mm、軸距は2100mmと一般的な数値になっており、5000形の様に電動台車と付随台車で違うという事はなくなったが、これは電動機の小型化により動輪を大きくする必要がなくなった事と、付随台車を小さくして少しでも軽くしようと言う2400形の設計思想がなくなってきた事を意味する。
 基礎制動装置はクラスプ(両抱き)式で5000形と同じ。ボルスタアンカの取付位置は地下線乗り入れに考慮して内側に少し引っ込んでいる。

 地下鉄線内での故障編成救済の場合に備え、動力1ユニットカットで勾配区間で故障編成を押上げる性能を持たせる為に10両編成時に電動車8両と電動車比率が高い。電動機出力は5000形の135kw(375V換算で150kw相当)に対し110kwに落としている為、編成出力は5000形とほぼ同等である。
 編成重量は5000形10連が333.4tに対し9000形10連が368.4tと1割も重くなっているから、出力重量比は1割ほど落ちている事になる。
 以上に鑑みると、9000形は高い電動車比率と電動機の高回転設定により地下線内の要求性能を満たし、かつ5000形と同等の出力に抑えながら小田急線内の急行としての高速性能を何とか確保しようした事が窺われる。

 車体構造は、千代田線乗入れの都合から2870mmと2600形に比べ30mm狭い上に、側面窓を1段下降窓とした為車体構造が変わり、壁が10mm厚くなったので、室内幅は都合50mm程2600形より狭くなってしまった。
 狭くなった室内をカバーすべく、側窓の位置及びドアの鴨居を50mm上げ、高さでスペースを稼ぐ方法を採っており、屋根の高さも2600形より25mm高い。
 前頭部の形状は先に登場した大阪市交通局の60系電車と同様、前面窓を大きく見せる造形で、地下鉄乗り入れをアピールする為に苦心したものと推察するが、5000形で窓の段差をわざわざ小さくししている(清掃現場の声を反映させたと言われている)のに、9000形では大きく凹ませており、ポリシーに一貫性がない。床下機器の重装備と合わせ、保守現場の苦労があったのではないかと推察される。

 当初4両編成、6両編成共に10本の合計100両製作される計画で、先ず急行の8連化に必要な4両編成を1972年に10本造ってしまった。翌1973年に6両編成2本、1974年に6両編成6本の合計88両を造ったところで一旦製造を打ち切り、その後乗入れ本数の決定により、9000形は過剰増備という事になり、小田急線内用には、5000形が再製作される事となった。1977年に4両編成1本に新製した付随車2両を挿入して4両編成、6両編成共9編成に整理され、合計90両が出揃った。
 通勤車で当初から冷房装置搭載で設計された最初の形式で、前年登場した5000形冷房車がサイクルファン併用なのに対し、ラインデリア(三菱電機のクロスフローファンの商品名)併用に改められ、後にこちらの方が小田急の標準となった。
 側面に照明切替式で準急・急行の2種の種別装置が設置され、1972年度製造分の9007編成から電動幕式に変更、1971年度製造分も電動幕式に改造された。1988年度からの車体の修理工事時に行き先表示も追加された種別・行き先独立表示型に改造されている。
 尾灯は当初は白熱灯であったが、後に全車発光ダイオードに変更されている。
 登場後15年余りを経て、1989年度(1988年度からという文献もある)から車体修理が開始され、1992年度までに4両編成全車に施工され、ここまでが車内は緑、青を基調とした小田急旧来のイメージに近い物で、翌1993年度から1995年度までに6両編成全車に施工された分は、クリーム色の壁面に赤系の座席と、1000形とほぼ同じ配色にに改められている。車体修理の目的が、1993年度を境に、車体の改修から、リニューアルに変わってきているわけである。これは併行して行われている5000形の車体修理も同様である。
 吊革の本数は先頭車131本、中間車146本で、吊革を吊るすパイプが上に上げられて、革の長さが長くなって2400形以来の広告スペースが復活している。
 1988年から近郊区間の8両編成化が開始され、4両編成を2編成連結した8両編成による各停運用が登場し、9000形4両編成も2編成連結で8両編成として固定的に使用されるものが出てきた。これに伴い、2000年5月から運転台機器を撤去した車輌が登場している。
 9000形が8連各停運用に投入されたのは、高加減速が要求される為だろうと推察され、9000形の有効活用という意味合いもあろうが、8両編成時の全車電動車というのはいかにも過剰装備という感じがする。


9005と9006
9006(左)と9305 2003年5月 新百合ヶ丘
前照灯は撤去の上、丸い板をビス留め、アンテナ撤去、乗務員室は残されて内側から目隠しのフィルムが貼られている。
発炎筒は存置されている。

 尚、改造は運転台機器を撤去しただけで、乗務員室はそのまま残され、客室との仕切りドアのガラスには、目隠しのフイルムが内側から貼られている。また、前照灯及び尾灯の撤去跡はビス留めで埋められているなど、暫定的なものである。
 千代田線乗り入れは1000形の増備に伴い、1990年3月に終了し、地下線乗り入れ装備はのちに全編成撤去されている。
 パンタグラフは当初菱形であったが、シングルアーム式に全車交換された。

 登場後33年を経て、3000形の大量増備に押し出される形で2005年4月から廃車が発生、その後急速に運用を縮小し、2006年3月13日、小田急は9000形の引退を発表した。
 2006年3月15日~17日の3日間は「9000形さよなら号」のヘッドマークを掲出して運転、2006年3月17日に営業運転を終了した。2006年5月13日に「9000形さよなら号」の運転を行い、現役を退いている。
 過剰装備で保守現場からは嫌われているであろう9000形は先輩の5000形より先に姿を消した。デハ9000形9001一両が保存されている。

 1973年鉄道友の会のローレル賞を受賞している。
 尚、編成組替により改番された車輌が4両ある。

 履歴:
  ●竣工

 1972年1月18日、9001+9101+9201+9301、9002+9102+9202+9302東急車輛
 1972年2月5日、9003+9103+9203+9303、9004+9104+9204+9304日本車輌
 1972年2月26日、9005+9105+9205+9305、9006+9106+9206+9306川崎重工
 1972年11月17日、9007+9107+9207+9307日本車輌、9008+9108+9208+9308川崎重工
 1972年12月1日、9009+9109+9209+9309、9010+9110+9210+9310東急車輛
 1973年10月30日、9401+9501+9551+9651+9601+9701、9402+9502+9552+9652+9602+9702川崎重工
 1974年2月15日、9404+9504+9554+9654+9604+9704日本車輌
 1974年3月11日、9403+9503+9553+9653+9603+9703東急車輛
 1974年11月1日、9405+9505+9555+9655+9605+9705日本車輌
 1974年11月5日、9406+9506+9556+9656+9606+9706日本車輌
 1974年12月3日、9407+9507+9557+9657+9607+9707、9408+9508+9558+9658+9608+9708川崎重工
 1977年11月28日、9559・9659川崎重工

  ●編成組替・改番
 1977年11月、9010+9110+9559+9659+9210+9310と編成替して9409+9509+9559+9659+9609+9709と改番。

  ●車体修理
 1989年度、9001編成、9003編成、9004編成
 1990年度、9008編成、9007編成
 1991年7月9日、9002編成
 1991年9月9日、9005編成
 1992年1月20日、9006編成
 1992年3月17日、9009編成
 1994年1月13日、9402編成
 1994年3月18日、9403編成
 1994年7月18日、9405編成
 1994年11月9日、9406編成
 1995年3月20日、9407編成
 1995年7月21日、9401編成
 1995年9月18日、9408編成
 1995年12月12日、9409編成
 1996年3月10日、9404編成

  ●運転台機器撤去
 2000年5月26日、9301
 2000年6月13日、9002
 2000年6月30日、9303
 2000年7月19日、9004
 2000年8月18日、9305
 2000年9月14日、9006

  ●除籍9001が保存された他は全車解体されている。
 2005年4月15日、9409編成
 2005年4月30日、9406編成
 2005年6月9日、9403編成
 2005年7月9日、9408編成
 2005年7月20日、9005編成、9006編成
 2005年10月14日、9002編成、9008編成
 2005年11月24日、9003編成、9004編成
 2005年12月12日、9009編成
 2005年12月29日、9007編成
 2006年2月10日、9402編成
 2006年2月28日、9405編成
 2006年3月16日、9401編成
 2006年4月12日、9404編成
 2006年6月14日、9407編成
 2006年6月14日、9001編成

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