小田急電鉄7000形2008年5月1日写真追加、追記。

OER-7000 - 84,534BYTES
写真上:1980年12月、デビュー初日。下り「はこね」新百合ヶ丘駅通過。
駅の周りはまだ造成が終わっていない。2400形区間列車も見える。
7000形はこの塗色が良く似合っていた。

写真下:2002年2月、塗装変更後。上り「えのしま」大和駅に停車中。
上の編成と同じ7001Fの逆向き。前面窓の周りまで黒くする事はなかったと思う。
ご丁寧に前照灯に食い込むまでクマをつけるというダサさである。

本稿は、2002年1月に本ホームページ用に纏めました。

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概要:
 3100形登場後18年弱、1980年12月からに久しぶりに製造された特急車が7000形である。小田急はこの車両をLSE(Luxury-SE)車と呼んでいる。

 システム的には3100形に倣う部分が多く、直列並列指定制御で制御段数は直列並列共に13段、弱め界磁4段で3100形と同じである。

 制御装置は3000形SE車、3100形と同じく東芝製で電動カム軸式のMM-39A。これが編成中4台あり、各4個の電動機を制御する。通常4個直列制御で箱根登山鉄道乗り入れ時には制御装置2台分を直列として8個直列制御を行う。
 3100形は制御装置2台で各8個の電動機を制御していたから、それと比べると冗長性を持っており、故障ユニットが発生した際も、切り離して運行が継続できるように配慮されている。
 25・40‰用抑速止めノッチが可能で、これは御殿場線乗り入れを視野に入れたものの様である。

 制動装置は発電制動併用全電気指令式電磁直通制動MBS-Dを採用、小田急としては初めての全電気指令式である。他形式との併結が原則としてない為、採用に踏み切ったものであろう。

 主電動機は三菱電機製MB-3262-Aまたは東洋電機製TDK-8420-Aで共に140kw/375V。駆動方式は中実軸撓み板継手(TD継手)で小田急では初採用であるが、小田急の特急車は以後この方式が継続して採用されている。歯数比は80:19=4.21でこれは御殿場線乗り入れ改造後の3000形SE車と同じである。

 台車は連接方式ながら住友金属製アルストムリンク式となり、通勤車輌との保守の共通化が図られた。車輪径は860mm、軸距は2200mmで、型式は編成両端の電動台車がFS-508B、連接電動台車がFS-508A、付随台車がFS-008である。基礎制動装置は電動台車がシングル式、付随台車が3100形では見送られたディスクブレーキとなっている。

 3000形SE車・3100形に倣って連接方式である。両端の台車が付随台車である車輌が存在する為、サハ7050形という形式区分があり、この車体の前後の台車のみ付随台車である。
 編成を通し番号で付番する3000形SE車、3100形に倣わず、新宿方から、デハ7000(7000)-デハ7000(7100)-サハ7050(7050)-デハ7000(7200)-デハ7000(7300)-デハ7000(7400)-デハ7000(7500)-デハ7000(7600)-サハ7050(7150)-デハ7000(7700)-デハ7000(7800)と付番されている。真ん中の6両目を中心にシンメトリーな構成にされているのは3100形と同じである。

 編成全長は145200mmで3100形より730mm長い。中間車の台車中心間長が12500mmで3100形より100mm長く、新宿方先頭車が16390mm、下り方先頭車が16310mmであるが、これは連接台車中心が車両間中心から下り方に40mmずれている為であって、両先頭車の車体長が違うわけではない。ちなみに3100形も30mmほど下り方にずれていた。
 パンタグラフは2・5・7・10両目に設置、編成重量は267.44tで、3100形より1割以上重い。

 客室内は3100形より明るい配色となり、シートピッチは3100形と同じ970mmで、2300形以来のリクライニングシートとなった。売店は3・9両目に、便所と洗面所は4・8両目に設置されている。
 ドアは折戸で自動ドアとなった。
 座席数は3100形の464座席(晩年は456座席)に対し、7000形は当初456座席、車体修理後は454座席である。
 床は3000形SE車・3100形と違ってフラットにされ、レール面からの高さは1100mmたが展望席だけ一段下がっている。客室の天井高さは2100mmで3000形SE車の2150mm、3100形の2050mmの丁度中間である。
 展望席の座席数は3100形の10席から14席に増やされ、前面ガラスも下方に拡大されて内外共に開放的で、オレンジを基調とした配色と相まって華やかな印象であった。

 3000形SE車の置換えを念頭に設計された為、御殿場線内の連続登はん能力、国鉄乗り入れ機器の搭載が考慮されていたが、3000形SE車の延命工事が行われ、後継の20000形が登場した事により、7000形は結局御殿場線の乗り入れに使用される事は無かった。

 1980年度から毎年度11両編成1本ずつ製造され、1983年12月までに4編成44両が出揃った。

 1983年11月から12月の間に7002編成が国鉄に貸し出され、大船〜熱海間で183系電車との比較高速試験が行われたが、結局、国鉄は連接車にボギー車と比べての優位性を見出せないという結論を導き出すに至った。

 登場後15年を経過した1996年から1998年に掛けて車体修理工事が行われ、7150番台車を車椅子対応として出入口を700mmから1000mmに拡幅し、座席1列を2脚×2から1脚×2に変更した為、定員が2名減少している。
 また、前面ガラスが熱線吸収ガラスに交換され、カーテンが撤去されている。
 この時外部塗装色を10000形に準じた紅白の塗分けに変更している。磨き出されていた展望席窓を含め窓周りはブラックアウトされ、せっかくの開放的な造形はスポイルされた。10000形の塗り分けに合わせて展望列車のデザイン統一を図ったと小田急は言っているが、この塗り分けは10000形の造形には合っていても7000形の造形にはハッキリ言って合っていない。10000形の運用撤退に伴い、意味のなくなった配色は再考すべきであろう。

 ところが、小田急は2007年5月24日、「小田急ロマンスカー就役50周年を記念して ロマンスカー・LSE(7000形)がデビュー当時の旧塗装に復活」と発表した。LSE車1編成をデビュー当時のカラーであるバーミリオンオレンジの旧塗装に塗り替えて2007年7月6日から2008年3月31日まで営業運転させるというものである。
 塗り替えられたのは7004編成で、実際は下の写真の様に窓回りはブラックアウト、スモークガラスでカーテンもないままなのが惜しいが、この電車にはオリジナル塗装の方が似合うという事を再確認するのには充分である。

OER-7000旧塗装 - 64,884BYTES
7000形旧塗装車。2008年4月、新百合ヶ丘。
当初の予定を過ぎ2008年4月になっても旧塗装のまま走り続けている。
7000形はこの塗色が良く似合っているからこのまま走っていてもいいような気がする。

 1981年鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞している。
 尚、改番、廃車は1両もない。

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履歴:
  ●竣工
 1980年12月9日、7001+7101+7051+7201+7301+7401日本車輌、7501+7601+7151+7701+7801川崎重工
 1981年11月24日、7002+7102+7052、7702+7802日本車輌、7202+7302+7402+7502+7602+7152川崎重工
 1982年11月9日、7003+7103+7053+7203+7303+7403+7503+7603+7153+7703+7803日本車輛
 1983年12月22日、7004+7104+7054+7204+7304+7404+7504+7604+7154+7704+7804川崎重工
  ●車体修理
 1996年3月30日、7003編成、日本車輌
 1996年10月21日、7001編成、日本車輌
 1997年10月11日、7002編成、日本車輌
 1998年4月10日、7004編成、日本車輌

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