小田急電鉄5000形 2010年11月15日追補。

小田急5000形
左:4両編成。2600形旧塗装車を従えた湘南急行。パンタグラフはまだ菱形。2003年10月、新百合ヶ丘
右:6両編成。前照灯シールドビーム改造車。パンタグラフのシングルアーム化後の姿。2005年1月、藤沢。

本稿は、2001年5月に本ホームページ用に纏めました。

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概要:
 2600形4000形の増備により輸送需要の増加に少しでも追いつこうとした小田急であったが、これらは急行用としては満足の行く性能を持っているわけではなかった。
 急行用としては中型高性能車の2200系、2400形が用いられていたが、大型車の第3弾として、急行用が計画されたのは至極当然と言える。
 そこで、車体・台車を2600形、駆動装置・制御装置を2400形として組合せる形で1969年に登場したのが5000形である。車体が大型化し、発電ブレーキ時の発熱発散の為、抵抗器を強制空冷式としているのが2400形2600形にない特徴である。
 制御装置は電動カム軸式で副抵抗器を使用したバーニヤ制御の三菱電機製ABFM-188-15MD。制御段数は直列25段、並列31段、弱め界磁7段の計63段、制動55段で2400形と同じである。1台の制御装置で8個の主電動機を制御する。これを4両編成に1台、6両編成に2台積み、4両編成が2M2T、6両編成が4M2Tの構成である。
 主電動機は2400形の120kw/340VのMB-3039-Aを改良した135kw/340VのMB-3039-Bで三菱電機製。注意しないといけないのは、改良点は主として絶縁であって、アンペアターンは両電動機共に同じであると言う点である。従って、同じ電圧を印加した時に出しうる出力は同じである。
 駆動装置は小田急通勤車に2220形以来採用され続けている愛用のWN駆動。歯数比は90:17=5.3で2400形の6.13から若干下げられている。編成重量は4両編成が141.9t、6両編成が215.5tで、2400形が113.36tであったから、電動機の改良を含めて勘案すると、4両編成設計時に2400形とほぼ同等かやや高速寄りの動力性能を狙って歯数比を設定したと推察される。
 台車は2600形の台車の基礎制動装置をシングル式からクラスプ(両抱き)式に変更したもので、住友金属製のアルストムリンク式。電動台車が車輪径910mm、軸距2200mmのFS375、付随台車が車輪径762mm、軸距2100mmのFS075である(型番は住友金属が追い番で付けているので大した意味はなく、要は基本的に2600形と同じ台車で付加しているブレーキ装置が変更されたに過ぎない)。


小田急5000形電動台車FS375
小田急5000形付随台車FS075
5000形の台車。上段:電動台車FS375、下段:付随台車FS075
写真は編成短縮改造直後の5255Fのもの。2008年4月。

 9000形が登場する前年の1971年までに4両編成12本が製造されて一旦製造を打ち切り、9000形の製造が一応終了した1976年に製造が再開され、1977年までに4両編成3本がほぼ9000形の車内見付に変更して登場、4両編成はここで製造を打ち切ったが、4両編成15本計60両では小田急としては経済的両数に到達しているとは言い難く、準急・急行の10両運転に必要な6両編成は新型式とはせず、5000形が継続して製造される事になり、1977年から6両編成の製造が開始された。
 形式は4両編成、6両編成ともクハ5050形、デハ5000形の2車種のみで、付番は4両編成がクハ5050(5050)+デハ5000(5000)+デハ5000(5100)+クハ5050(5150)、6両編成がクハ5050(5250)+デハ5000(5200)+デハ5000(5300)+デハ5000(5400)+デハ5000(5500)+クハ5050(5550)とされており、同一の5000形として区分されている。
 結果、5000形の製造は1982年までの13年の長期に亘り、4両編成15本、6両編成20本の計180両の大所帯となった。

 1971年登場の5059編成から冷房装置を搭載し、電源確保用に上り方の5050番台の制御車に140kVA、下り方の5150番台の制御車に9kVAの補助電源装置が搭載され、それまで上り方から2両目の5000番台の電動車に設置されていた2台の9kVAの物は省略された。その後5051編成~5058編成にも改造により冷房装置が搭載され、5000番台車の補助電源装置を撤去、両制御車に設置し直して機器の構成が統一されている。最初の冷房車である5059編成~5062編成だけが箱型ベンチレーター併用であったが、その後の車両は他形式を含めてベンチレーターは省略され、5059編成~5062編成も後に撤去されている。
 6両編成は、側窓を1段下降窓にする等、車体構造の変更を行った結果、新たに形式認可を取っているが、機器類は基本的に手を加えられずほぼそのままで、車内の見付も1976年以降生産された4両編成とほぼ同じである。構成は4両編成に電動車2両ユニット一組が挿入された形で、追加2両分の電源確保の為に下り方の制御車の補助電源装置が9kVAから140kVAに変更されたのが目立つ程度であるが、これも上り方の制御車に設置されているものと同じもので、目新しい装備は殆どない。型式も制御車がクハ5050、電動車がデハ5000と4両編成と同じで、同一の5000形である(一部で設計認可を取ったのだから6両編成は5200形である等と言われている様だが、新たに設計認可を行った型式も5000形であって5200形ではない。元をただせば、某鉄道誌の5000形6両編成の紹介記事の見出しに安易に「5200系」等と勝手に呼称をつけ、それに当時小田急の要職にあった某氏が迎合して記事を書き、その後の自著にも安易に5200系と呼んだといったところなのだ)。
 側面に照明切替式で準急・急行の2種の種別装置が設置され、1976年度製造分の5063編成から9000形に倣って電動幕式に変更、1979年度製造分の5256編成からは行き先表示も追加された種別・行き先独立表示型になった。後に全車両この種別・行き先独立表示型に改造されている。表示幕は種別設定の変更時や駅名変更時等に、何度か交換が行われている。

小田急5000形運転台
5000形の運転台。2008年4月。

 登場後20年余りを経て、1990年度から車体修理が開始され、2001年度に全車完了した。4両編成のうち、最後に修理をした5063編成のみドア窓の支持が金属枠に変更され、側窓の下段を固定し、上段をバランサー付下降式にする改造が行われているが、側窓については、その後5000形4連全車改造された。改造前の2段上昇式の時は側面の表示機の真下の窓の上段が窓を収納するスペースが無い為固定されていたが、上段下降に改造された後もバランサーを設置する事が出来なかったらしく、固定されたままである。ちなみに車両端部の上段も固定されているが、これは箱根登山鉄道乗り入れ時の安全上の理由によるものらしい。
 通過表示灯が使用されなくなったのに伴い、6両編成については、車体修理の際に尾灯を白熱灯から発光ダイオードに変更し、通過表示灯との切替装置は撤去されている。
 6連の車体修理では新宿寄り先頭車の妻寄り4人掛け座席が撤去されて車椅子スペースとされた。
 1999年に車体修理を行った5260編成以後のものについては7人掛け座席を4人3人に分ける位置に握り棒が立てられている。また、最近施工されたものは前照灯をシールドビームに改造したものもあるが、これは9000形と同じ物である。車体修理とは別途に改造された車輌もある。
 転落防止外幌の取付工事も進められ、全車に設置が完了しているが、一気に設置工事を施工したJR東日本と比べてその進捗は悪かった。

 室内幅は4連は2715.4mmで現在にいたるまで2600形4000形と並びモノレールを除く小田急車両中最大であったが、6連は1段下降窓を採用したあおりを食らって壁が10mm厚くなり、2695.4mmと狭くなっている。この後、小田急車両の室内幅は狭くなる傾向にある。
 パンタグラフは製造時は菱形であったが、全車両シングルアーム式に交換されている。6両編成にはパンタグラフ交換時に3基から2基にされた編成があるが(全然関係ないが、シングルアーム式パンタグラフを「シンパ」と略して言うマニアがいるが、ああ言うのは好きじゃない)、3基で残った編成が4両編成に短縮された時点で3基の編成は無くなった。
 3000形の大量増備に押し出される形で2006年5月に廃車が発生している。
 編成組み換えは登場後永らく行われていなかったが、2008年3月のダイヤ変更に先立ち、6両編成3本が4両編成に組み替えられている。この組替えは2007年度の計画発表になかったもので、ダイヤ変更により箱根登山鉄道の急行乗り入れを基本的に止め、原則として小田急車の4両編成の箱根登山線内の折返し運転となった事と関係があると推察される。
 組み換えと言っても、形としては、6両編成のうち、電動車ユニット一組2両(5200番代と5300番代)が抜き取られただけで、改番は行われていない。つまり、下り方から
クハ5050(5250)+デハ5000(5400)+デハ5000(5500)+クハ5050(5550)
の組成となった。
 組み換えの対象となったのは、パンタグラフが3基装備のまま残っていた5255F、5256F、5258Fの3本で、抜取られる5200番代車から、5400番代車にバッテリーと速度発電機を、5500番代車に戸閉保安装置主機を移設している。
 小田急では長期の使用を前提としておらず、他には号車表示等の変更、制御装置の設定変更くらいで、必要最低限の改造に抑えている。補助電源装置は機器更新の際に取り替えられた140kVAのIGBT-SIVであるINV095-H1が両先頭車に各1基ずつ存置されている。
 編成重量は145.5tで、他の4両編成より3.6t重い。


小田急5000形短縮編成
4両編成に組替えられた一段下降窓車。写真は5258F。
2008年4月、新百合ヶ丘。

 2007年度は地下鉄乗り入れ用の新4000形10両編成7本70両が新製され、これにより地下鉄乗り入れに使用されている1000形の大半を地上線にまわし、5000形の置換えに充当された。
 2008年度は車両の新製はなかったが、2009年度は新4000形10両編成4本40両が製造された。これにより1000形10両編成4本がそのまま地下線運用を離れ、地上線に充当され、5000形も同数が駆逐されている。
 2009年度末までに4両編成6本、6両編成14本、編成組み換えの余剰車6両の計114両が除籍され、残っているのは4両編成12本、6両編成3本の計66両である。その後も7月までに5053、5061編成が運用離脱しており、廃車が続いている。
 現状では、車体の塗装の補修をタッチアップで済ませているものが結構あり、2600形の末期を思い起こさせる物がある。
 いわゆる小田急顔の電車が見られる機会も少なくなり、見られなくなる日も近づいてきたようだ。

 履歴:
  ●竣工

 1969年10月17日、5051+5001+5101+5151川崎重工
 1969年11月21日、5052+5002+5102+5152川崎重工
 1969年11月10日、5053+5003+5103+5153、5054+5004+5104+5154日本車輌
 1970年10月7日、5055+5005+5105+5155日本車輌
 1970年10月15日、5056+5006+5106+5156日本車輌
 1970年9月21日、5057+5007+5107+5157、5058+5008+5108+5158川崎重工
 1971年4月12日、5059+5009+5109+5159東急車輛、5060+5010+5110+5160日本車輌、5061+5011+5111+5161、5062+5012+5112+5162東急車輛
 1976年11月16日、5063+5013+5113+5163日本車輌、5064+5014+5114+5164川崎重工
 1977年11月10日、5065+5015+5115+5165日本車輌
 1978年1月9日、5251+5201+5301+5401+5501+5551東急車輛
 1978年1月18日、5252+5202+5302+5402+5502+5552川崎重工
 1978年1月30日、5253+5203+5303+5403+5503+5553日本車輌
 1978年12月9日、5254東急車輛+5204川崎重工+5304川崎重工+5404東急車輛+5504東急車輛+5554東急車輛、5255日本車輌+5205川崎重工+5305川崎重工+5405日本車輌+5505日本車輌+5555日本車輌
 1979年6月13日、5256+5206+5306+5406+5506+5556日本車輌
 1979年6月25日、5257+5207+5307+5407+5507+5257東急車輛
 1979年7月5日、5258+5208+5308+5408+5508+5558川崎重工
 1980年5月21日、5259+5209+5309+5409+5509+5559川崎重工
 1980年5月31日、5260+5210+5310+5410+5510+5560東急車輛
 1980年6月13日、5261+5211+5311+5411+5511+5561東急車輛
 1980年6月25日、5262+5212+5312+5412+5512+5562日本車輌
 1981年4月28日、5263+5213+5313+5413+5513+5563日本車輌
 1981年5月21日、5264+5214+5314+5414+5514+5564川崎重工
 1981年6月4日、5265+5215+5315+5415+5515+5565東急車輛
 1982年3月3日、5266+5216+5316+5416+5516+5566東急車輛
 1982年4月5日、5267+5217+5317+5417+5517+5567東急車輛
 1982年4月28日、5268+5218+5318+5418+5518+5568日本車輌
 1982年5月26日、5269日本車輛+5219日本車輌+5319日本車輌+5419川崎重工+5519川崎重工+5569川崎重工
 1982年6月10日、5270+5220+5320+5420+5520+5570川崎重工

  ●車体修理
 1991年1月22日出場、5053編成
 1991年4月11日出場、5051編成(1990年度竣工分)
 1991年11月9日、5052編成
 1992年1月13日、5054編成
 1992年3月14日、5055編成
 1992年7月8日、5057編成
 1992年9月17日、5058編成
 1992年11月13日、5059編成
 1993年7月6日、5056編成
 1993年9月6日、5060編成
 1993年10月29日、5061編成
 1994年9月27日、5062編成
 1996年7月13日、5064編成
 1996年9月23日、5255編成
 1996年11月24日、5065編成
 1996年12月25日、5251編成
 1997年3月24日、5254編成
 1997年7月15日、5256編成
 1997年10月7日、5253編成
 1997年12月29日、5259編成
 1998年3月26日、5252編成
 1998年6月17日、5063編成
 1998年10月6日、5257編成
 1998年12月28日、5258編成
 1999年3月27日、5261編成
 1999年7月13日、5265編成
 1999年10月18日、5260編成
 2000年3月1日、5264編成
 2000年7月13日、5262編成
 2000年10月6日、5263編成
 2001年1月11日、5268編成
 2001年4月3日、5267編成
 2001年8月17日、5269編成
 2001年11月16日、5270編成
 2002年3月12日、5266編成

  ●廃車
 2006年5月22日、5259編成
 2006年8月1日、5261編成
 2006年8月23日、5252編成
 2006年11月13日、5257編成
 2007年5月2日、5253編成
 2007年5月25日、5051編成
 2007年6月19日、5052編成
 2007年9月3日、5251編成
 2007年10月11日、5265編成
 2007年10月24日、5260編成
 2007年11月20日、5254編成
 2007年11月22日、5206、5306(6両編成→4両編成組替による余剰廃車)
 2007年12月10日、5205、5208、5305、5308(6両編成→4両編成組替による余剰廃車)
 2008年2月22日、5262編成
 2009年5月12日、5055編成
 2009年7月2日、5267編成、
 2009年7月29日、5269編成
 2009年8月12日、5057編成
 2009年9月29日、5266編成
 2009年10月16日、5058編成
 2009年11月2日、5059編成
 2009年11月12日、5264編成

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