小田急電鉄4000形(初代)2010年2月22日追補・ページ統合

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4000形
高性能冷房化改造前の姿。
本鵠沼-鵠沼海岸

本稿は、2001年3月に本ホームページ用に纏めました。

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概要:
 昭和40年代(1965年~)に入り、輸送需要が増大し、車両の大型化の必要に迫られたが、2600形の急ピッチの増備が追いつかず、新製コストを抑える意味で、戦前に製造された小型車(HB車)の電装品を流用して2600形の車体と組合せる形で1966年12月に登場したのが4000形である。種車のHB車を食いつぶした後はほぼ同仕様の電動機を持つ中型車(ABF車)を種車として増備が続けられ、1976年までに3両編成9編成、5両編成13編成の92両が出揃った。
 種車の関係から発電制動は装備されず、ディスクブレーキ付の東急車輛製パイオニア台車を履いている。パイオニア台車は汽車会社のエコノミカル台車同様、軸ばねが無い為、小田急はこの台車を採用するにあたり、1963年10月に東急よりパイオニア台車を履いた7019+7020を借りて試験をしている。
 1973年に1800形との併結運転時に脱線を2回起こし、その原因はパイオニア台車の構造による輪重抜けとされた。これを受けて1974年以後の増備車である中間車26両はペデスタル式の台車に変更している。台車は重量の軽い付随台車を優先して交換され、中間車26両中22両がTc車のパイオニア台車を電動台車に改造の上転用、同時に製造された付随台車TS-814をTc車と振り替え、最後の増備車4両は振り替える相手が無くなった為、新製されたTS-818をそのまま履いている。その後2400形の電装品を流用して高性能冷房化された時に順次台車の新製交換を行い、小田急からパイオニア台車を履いている車両は消滅した。
 HB車には弱界磁がなかったが分流回路を付加して弱界磁制御を可能としている。制御装置はABF-128-15Mで制御段数は直列8段・並列8段・弱め界磁2段の18段である。
 電動機はMB-416AR、MB-416CFRで出力は93.3kW。歯数比59:24=2.46の吊り掛け駆動である。設計最高速度は95km/hとされ、大型中性能車と分類された。
 性能が高性能車と合わない為、1800形以外の他形式との併結は行われなかったが脱線事故後はこれも行われなくなり、他形式が偶数の編成量数を単位とする中で奇数を基本単位とするため、運用はほぼ独立していた。
 2200系列が1984年に駆逐され、最後の中型車2400形の廃車が1985年に始まる頃になると、大型の車体ゆえ釣り掛け駆動の車軸の負荷が大きく冷房を積む余力のない4000形が問題視されてくるようになった。したがって2400形の廃車による116両分の廃車発生品(一部は1000形の新製にも使われた)を活用して高性能化し、同時に冷房化を行い、ついでに編成単位を4連と6連に改め、他形式との運用の共通化が図られることとなった。この改造により、小田急から釣り掛け駆動の旅客車が全滅したが、改造費をケチったのか、発電制動の装備は見送られ、パイオニア台車を駆逐する為に新製された電動台車もディスクブレーキのついたTS-826とされた。  制御装置は改造によるものとされているが型番はABF-188-15Mとされ、制御段数は直列11段・並列9段・弱め界磁2段の24段に増やされた。型番だけを見ると5000形のものから発電制動とバーニア制御を省略した様な型番になっている。


高性能化後の4000形
4051編成 本鵠沼
改造後間もない頃の写真。

 室内幅は2715.4mmで現在にいたるまで2600形5000形4両編成と並び小田急車両中最大。
 吊革の本数は先頭車126本、中間車136本もある。
 1966年に3連1本、1967年に3連6本、1968年に3連9本、1969年に3連4本、1970年に3連2本造られて一旦打ち切り、その後5連化用に中間電動車が1974年に2両、1975年に12両、1976年に12両造られて13本が5連化され、92両が出揃った。
 この間に、当初、制動装置がAMMR-L等、種車の仕様を引きずっていた部分が1968年度分から制動装置がHSCに改められる等、電動機以外は殆ど新製車といった風になり(それ以前の車両もその後改造して仕様が統一された)、1970年に最後に造られた先頭車4両の運転台側扉の手摺は5000形に倣って下方に延びている(下の写真)等といった変化がある。客室の構造は、5000形4連が9000形登場後車内の見付を9000形同様に変更しているのに対し、4000形ではそういった目立った変更は行われていないが、これは同一編成中に違う見付の車両が混在するのを嫌う小田急らしいといったところであろう。


4558と4552
4558(左)と4552 2002年2月 長後
 乗務員室扉の手摺りが、1967年製造の4552(登場時は4055)は2600形と同じく短いが、5000形登場後の1970年製造の4558(登場時は4071)は5000形に倣って下に延びている。

 1985年から前述の改造組換え工事が始まった。これにより、性能的には5000形とほぼ互角。冷房装置は当時の最新型8000形と同じCU-195Aが搭載されたが、改造費をケチるためか既設置の扇風機を流用したため、冷房の効きが8000形に比べ今ひとつといった感じがする。この扇風機も、当初はOERの花文字の入ったものであったが、後に交換されてしまい、花文字を見ることは出来なくなった。
 編成数は4両編成8本、6両編成10本とされ、92両のままであるが8両が運転台を撤去して客室部分を作り直して中間車化されている。
 尚、改番により全車両の番号が変更されており、変転の激しい形式であるが、2003年11月に廃車が発生。3000形の大量増備に押し出される形で急速に運用離脱し、2004年12月のダイヤ変更で運用から離脱、全車解体された。

 履歴:
  ●竣工

 1966年12月1日、4001+4101+4051東急車輛
 1967年1月25日、4002+4102+4052東急車輛
 1967年3月17日、4003+4103+4053東急車輛
 1967年4月15日、4004+4104+4054東急車輛
 1967年11月10日、4005+4105+4055、4006+4106+4056、4007+4107+4057東急車輛
 1968年1月27日、4008+4108+4058東急車輛
 1968年4月26日、4009+4109+4059東急車輛
 1968年5月14日、4010+4110+4060東急車輛
 1968年7月14日、4011+4111+4061東急車輛
 1968年8月14日、4012+4112+4062東急車輛
 1968年9月6日、4013+4113+4063日本車輌
 1968年9月25日、4014+4114+4064日本車輌
 1968年11月3日、4015+4115+4065川崎車輛
 1968年11月9日、4016+4116+4066川崎車輛
 1969年5月8日、4017+4117+4067東急車輛
 1969年6月4日、4018+4118+4068東急車輛
 1969年8月2日、4019+4119+4069川崎重工
 1969年10月16日、4020+4120+4020日本車輌
 1970年9月5日、4021+4121+4071東急車輛
 1970年10月22日、4022+4122+4072東急車輛
 1974年11月18日、4202・4302東急車輛。4002+4102+4202+4302+4052の5連に組成された。
 1975年1月28日、4205・4305東急車輛。4005+4105+4205+4305+4055の5連に組成された。
 1975年2月20日、4207・4307東急車輛。4007+4107+4207+4307+4057の5連に組成された。
 1975年3月17日、4201・4301東急車輛。4001+4101+4201+4301+4051の5連に組成された。
 1975年4月7日、4203・4303東急車輛。4003+4103+4203+4303+4053の5連に組成された。
 1975年5月6日、4206・4306東急車輛。4006+4106+4206+4306+4056の5連に組成された。
 1975年5月22日、4204・4304東急車輛。4004+4104+4204+4304+4054の5連に組成された。
 1976年3月30日、4208・4308東急車輛、4209・4309日本車輌。4008+4108+4208+4308+4058、4009+4109+4209+4309+4059の5連2本に組成された。
 1976年10月12日、4210・4310・4211・4311東急車輛。4010+4110+4210+4310+4060、4011+4111+4211+4311+4061の5連2本に組成された。
 1976年11月1日、4212・4312・4213・4313東急車輛。4012+4112+4212+4312+4062、4013+4113+4213+4313+4063の5連2本に組成された。

  ●改造(高性能化、冷房設置、組成変更)
 1985年7月30日、4001+4201+4301+4051と編成替して4051+4001+4101+4151と改番。旧4101は保留となったが新編成との番号ダブりを避けるために4214に改番。
 1985年9月28日、4010+4214+4110+4210+4310+4060と編成替して4251+4201+4301+4401+4501+4551と改番。この時点で保留車なし。
 1986年2月10日、4002+4202+4302+4052と編成替して4052+4002+4102+4152と改番。旧4102は保留となったが新編成との番号ダブりを避けるために4215に改番。
 1986年3月11日、4005+4215+4105+4205+4305+4055と編成替して4252+4202+4302+4402+4502+4552と改番。この時点で保留車なし。
 1986年7月30日、4006+4206+4306+4056と編成替して4055+4005+4105+4155と改番。4106は保留となったが番号ダブりでないにも拘らず4216に改番。
 1986年9月13日、4009+4216+4109+4209+4309+4059と編成替して4255+4205+4305+4405+4505+4555と改番。この時点で保留車なし。
 1987年1月26日、4003+4203+4303+4053と編成替して4053+4003+4103+4153と改番。旧4103は保留となったが新編成との番号ダブりを避けるために4217に改番。
 1987年3月3日、4013+4217+4113+4213+4313+4063と編成替して4253+4203+4303+4403+4503+4553と改番。この時点で保留車なし。
 1987年3月16日、4004+4204+4304+4054と編成替して4054+4004+4104+4154と改番。旧4104は保留となったが新編成との番号ダブりを避けるために4218に改番。
 1987年7月27日、4007+4218+4107+4207+4307+4057と編成替して4259+4209+4309+4409+4509+4559と改番。この時点で保留車なし。
 1987年8月22日、4008+4208+4308+4058と編成替して4056+4006+4106+4156と改番。4108は保留。
 1988年2月9日、4011+4208+4111+4211+4311+4061と編成替して4260+4210+4310+4410+4510+4560と改番。この時点で保留車なし。
 1988年3月2日、4012+4212+4312+4062と編成替して4057+4007+4107+4157と改番。4112は保留。
 1988年7月26日、4018+4068+4118+4022+4122+4072と編成替して4254+4204+4304+4404+4504+4554と改番。4068と4022は運転台を撤去して客室部分を製作して中間車化された。この時点では引続き4112が保留。
 1988年8月30日、4015+4065+4115+4014+4114+4064と編成替して4256+4206+4306+4406+4506+4556と改番。4065と4014は運転台を撤去して客室部分を製作して中間車化された。この時点では引続き4112が保留。
 1988年12月14日、4016+4112+4116+4066と編成替して4058+4008+4108+4158と改番。この時点で保留車両はなくなり、以後3連×2を6連に組替える事になり保留車両は発生していない。
 1989年2月25日、4017+4067+4117+4019+4119+4069と編成替して4257+4207+4307+4407+4507+4557と改番。4067と4019は運転台を撤去して客室部分を製作して中間車化された。
 1989年3月29日、4020+4070+4120+4021+4121+4071と編成替して4258+4208+4308+4408+4508+4558と改番。4070と4021は運転台を撤去して客室部分を製作して中間車化された。

  ●廃車
 全車解体されている。
 2003年11月20日、4258F。
 2004年1月26日、4253F。
 2004年4月13日、4254F。
 2004年4月27日、4259F。
 2004年7月22日、4053F、4057。
 2004年8月6日、4256F。
 2004年8月13日、4054F、4056F。
 2004年9月24日、4251F。
 2004年10月6日、4058F。
 2004年10月25日、4252F。
 2004年11月4日、4255F。
 2004年11月16日、4052F。
 2004年11月23日、4260F。
 2004年12月13日、4257F。
 2004年12月16日、4051F。
 2005年1月11日、4055F。

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