小田急電鉄3100形2006年11月13日追補

3100形
1977年頃、小田原。
小田原駅を出て箱根登山鉄道線を登ってゆく。
ホームを空ける為に荷物電車デニ1300形が退避している。
車体位置が低く、パンタグラフに下駄を履かせている様子が判る。

本稿は、2005年4月にに本ホームページ用に纏めました。

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概要:
 1963年、好評の3000形を受けて、特急の増発を行う為に登場したのが3100形である。
 3000形はSE(Super Express)車と呼ばれていたが、3100形はそれを受けてNSE(New SE)車と呼ばれた。

 3000形の8両連接構造から11両連接構造になり、座席定員は354名から464名と大幅に増加している。
 エクステリアは軽量電車然とした3000形に対し、国鉄151系電車等、その後登場した他社の特急車輌のデザインの影響を多分に受け、愛称板は5角形、大きな客窓、クロスシートを備える。イタリアの急行電車セッテベロを範にとり、運転台を屋上に上げ、客席を先頭部に延長したデザインは日本では名鉄パノラマカー7000型に続き2例目である。車体幅は3000形の2800mmから2900mmへ、室内幅も2560mmから2620mmに拡大された一方、シートピッチが1000mmから970mmになってしまったところがちょっとせこい。車体の配色は3000形のそれとほぼ同じだが下半分のオレンジ部分にグレーが入り、3000形のリブを模したと思われる白の細いライン3本が追加されている。
 3000形に倣って床が下げられているが3000形ほど極端ではなく、レール面からの高さは3000形(登場時)の875mmに対し1000mm、台車上部の床面は3000形の1000mmに対し1100mmである。3000形同様、段差がある為通路にスロープがある。天井は床が低い部分でも2050mmしかなく、これは3000形の2150mmから極端に下げられ、屋根の高さはレール面から3200mmと3000形の3250mmより低く、全体的に平べったい車体である。
 車内販売設備は編成中2箇所あり、日東紅茶が紺の制服「走る喫茶室」、森永が緑の制服で「エンゼルティールーム」と名づけられてサービスを競った。後に両社とも撤退、代わって小田急商事が「喫茶室(ティールーム)」の運営に当たる事になる。
 小田急の特急車は1700形以来客用扉が少ないが、3100形では各車に客用ドアがある。3100形は3000形に倣ってドアは手動であり、各車にドアがあっても客扱いされるのは乗務員のいる編成中数箇所だけで、この辺を見ても小田急は特急の途中停車をあまり考えていなかった様子が窺える。

 11車体12台車で内、電動台車が8台。付随台車は端から2、5、8、11番目で、両端が付随台車の車体が無い為、全車体がデハ3100形である。
 台車は小田急に台車を供給していた住友金属がアルストムリンク式に代わる方式として当時プッシュしていたミンデンドイツ式を採用。軸距は2200mmで電動台車が車輪径860mmのFS-346、付随台車が車輪径762mmのFS-046である。ところが小田急ではこれが不評だったらしく、その後小田急はミンデンドイツどころか後に住友金属の推す軽量のS型ミンデン式も採用せず、アルストムリンク式に拘る事となった。
 制動装置は発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキHSC-D。発電ブレーキ優先動作を行い常用最大圧力を2kg/cm2に抑える事によりSE車で採用されたディスクブレーキの採用は見送られ、基礎ブレーキ装置はレジンシューの採用によるシングル式である。
 非常制動時には4.7km/h/sの減速力が得られる様に設計され、130km/hから600m以内に停車する事を目標に掲げていた。

 電動機は出力110kw/375Vの東洋電機製TDK807-A。歯数比は3.95(75:19)と3000形ほどではないが小田急電車の中ではかなり低く採られている。これは起動加速より中高速の加速が重視された結果で、基本的に特急は停まらないという思想による。結果、3100形の平坦線均衡速度は170km/hとなっているが、1958年登場の国鉄151系電車が160km/h、一足早く登場したパノラマカー7000型が180km/hであるから、3100形が特に高いわけではない。
 駆動装置は中空軸平行カルダン式。
 制御装置は東芝製MPM型MM-15-Aを編成中2組持ち、8個の電動機を夫々制御する。直列並列指定制御で、通常は4個直列2回路2組、箱根登山鉄道乗り入れ時には2個直列2回路直列、非常時には制御装置1台で8個直列2回路運転も可能である。何があっても勾配区間で起動させようという姿勢が窺える。

 6両目、つまり真ん中の車輌を中心としたシンメトリーな構成で、1963年製造の4編成は中間5両を抜いた6両編成での運行が可能であったが結局6両編成での運行実績は殆ど無く、1966年以降に増備された3編成は6両での運行は考慮されていない。パンタグラフは2、5、7、10両目に設置されている。
 1962年度に11連2本、1963年度に11連2本が製造されて一旦打ち切り、1965年度に11連2本、1966年度に11連1本が一部仕様を変更して増備され、合計11連7本77両が造られた。
 空調装置は当初冷暖房兼用のヒートポンプを床下に装備していたが故障頻発で第5編成から暖房はヒーターのみとなり、ヒートポンプは冷房用となった。1977〜1978年度に屋根上に冷房が追加増設され、1983〜1985年にかけて機器更新が行われ制御装置はMM-56-Aとされている。1984〜1988年にかけて車体修理が行われ、この車体修理の際前面表示が電動幕式に変更され、売店と客室に仕切りが追加されて定員が464名から456名に減少している。

 1996年、30000形の登場を受けて廃車が発生。その一方で1997年度に3161編成を車検の際に改造して「ゆめ70」と称するイベント列車に仕立て上げた。「70」は鉄道営業開始70周年にちなんだもので、次の車検時までに営業線から撤退する事が最初からアナウンスされていた。
 1999年7月のダイヤ変更時に手動ドアの3100形は定期運用から離脱、これを受けて基本的にホームでの特急券確認がなくなり、全客用扉で客扱いするようになった。「ホームウエイ」「サポート」といった、「湘南ライナー」モドキが小田急に登場し、ロマンスカーのホームライナー化が始まった。「走る喫茶室」の終焉であり、車内販売の無い列車が増えてゆく。その後も残っていた「ゆめ70」も2000年4月に営業運転を終了、除籍された。
 小田急は3100形の保存を表明し、実際3221編成1本を一旦喜多見車庫に格納した。1999年、2000年の鉄道の日イベントでは自走して海老名に馳せ参じていたが、2001年9月に大野工場に自走、3226〜3230の中間5両を抜き取られて自走できなくなり、6両に短縮された姿で9000形4連に牽引させて喜多見車庫に戻している。自走できなくなると電気機関車を持たない小田急では喜多見から引き出せなくなる為、電車での牽引を考慮して6両に短縮したものと思われる。抜き取られた5両は解体されている。

 小田急は2005年、VSEと名づけた50000形を「走る喫茶室」として登場させたが運用は限定的で新宿対箱根のみを対象とし、一方で東京地下鉄千代田線の湯島乗り入れの新型特急車の予告を行うなど、小田急の特急の迷走は当分続きそうである。

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履歴:
 ●竣工

 1963年1月28日、3101+3102+3103+3104+3105+3106+3107+3108+3109+3110+3111川崎車輌
 1963年2月15日、3121+3122+3123+3124+3125+3126+3127+3128+2129+3130+3131日本車輌
 1963年9月17日、3141+3142+3143+3144+3145+3146+3147+3148+3149+3150+3151川崎車輌、3161+3162+3163+3164+3165+3166+3167+3168+3169+3170+3171日本車輌
 1966年3月18日、3181+3182+3183+3184+3185+3186+3187+3188+3189+3190+3191川崎車輌
 1966年3月25日、3201+3202+3203+3204+3205+3206+3207+3208+3209+3210+3211川崎車輌
 1967年3月18日、3221+3222+3223+3224+3225+3226+3227+3228+3229+3230+3231川崎車輌

●車体修理
 1984年度、3121編成。
 1985年度、3181編成、3201編成。
 1986年度、3221編成、3141編成。
 1987年度、3101編成。
 1988年度、3161編成。

 ●廃車
 1996年6月30日、3121編成。
 1997年6月30日、3141編成。
 1997年9月30日、3101編成。
 1999年5月12日、3201編成。
 1999年7月17日、3181編成、3221編成。3181が開成駅前の公園に展示、3221編成は編成全体一旦保存扱いとされたが3226〜3230が2001年9月に抜き取られて解体。
 2000年4月26日、3161編成。

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