小田急電鉄2600形2009年6月12日追記

2670F旧塗装
2003年10月に旧塗色に塗り替えられて最後の活躍をする2670編成。
5000形を従えて箱根湯本に向け新宿を発進、南新宿を通過中。
塗分け位置は新塗装の青帯に揃えられていて若干高い。

本稿は、1999年3月に個人的に纏めたものに加筆して公開するものです。

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2652編成ギャラリーはこちら。

概要:
 小田急初の20m大型車として計画され、2400形(High-Economical-Car=HE車と呼ばれた)より、更に経済性を重視し、2400形にあった副抵抗器(バーニア)使用による超多段制御(直列25・並列31・弱め界磁7・電気制動55段)をやめ、普通の多段制御(直列11・並列9・弱め界磁6・電気制動18段)とした。その為登場時NHE(New-HE)車と呼ばれた。

 列車の増発に変電所容量が追いつかなくなることを恐れたのか、回生ブレーキとなり、当時のホームの有効長から当初5連で登場した。回生ブレーキは直巻電動機界磁1/4電流方式と言う変わった方式で、回生失効も約40km/hと高く、回生失効時の電空切り替えもスムースとは言い難く、せっかくの乗り心地の良い台車を採用しながら、その乗り心地をスポイルしている。

 高速性能より加減速を重視した設定で、設計最高速度は100km/hに抑えられ、近郊各停用と位置付けられた。その為、当初は他形式との連結は行われず、走行距離を稼ぐ為に早朝深夜に急行に使用される他は殆ど各停・準急に限定的に使用された。しかし1983年3月より他形式との併結運転を開始、通勤車全体の運用に弾力を持たせることが出来た反面、列車の最高速度も本形式に合わせ抑えられる事となった。

 制御装置は電動カム軸式の三菱電機製ABFM-176-15MRHでこれが2600番台車と2800番台車に搭載され編成中2台ある。これが夫々6個の電動機を制御し、主電動機の個数は編成中12台である。
 当初から6連化が前提であったから、6連化の暁には8個のモーターを夫々の制御器が制御するはずだったのではないかと推察される。
 主電動機は三菱電機製MB-3095-ACで、3個直列パラ運転の関係から端子電圧は500V、出力は130kwである。2400形の主電動機が120kw/340Vで375Vで130kw相当であったから、電動機単体ではパワーアップしているわけではない。駆動方式はWN駆動で歯数比は92:15=6.13で2400形と同じである。
 編成重量は5連時が160.99t、6連化後が187.19t、冷房化後が205.2tで出力重量比は夫々0.103t/kw、0.120t/kw、0.132t/kwで、2400形の0.105t/kw(375V換算)と比べると登場時はほぼ同等の動力性能を狙っていたものと推察される。
 台車は住友金属製のアルストムリンク式でダイヤフラム式の空気ばねを枕ばねに使用して揺れ枕を省略している。デハ2600形が車輪直径910mm、軸距2200mmの電動台車FS360、クハ2650形が車輪直径762mm、軸距2100mmの付随台車FS60、サハ2650形がFS360の電装を省略したFS360Aを履く。
 パンタグラフは電動車上り寄りに取り付けられているのが特徴。

 室内幅は2715.4mmで現在にいたるまで4000形5000形4両編成と並びモノレールを除く小田急車両中最大。
 吊革は国鉄103系電車に倣ったのか、ドア中間部にレールに対し直角方向にもパイプが渡されて吊る下がっていたが何故か1967年度以降製造分から不採用となり、それ以前に製造された車両も撤去されている(溶接を剥ぎ取った跡が残っていたが、現存する車両は保存されているもののみ)、パイプの位置は2400形に比べ全体的に下げられ、吊革の革の部分が短くされて広告スペースが無くなってしまったが、これは吊革がブラブラするのを嫌った為らしい。本数は先頭車126本、中間車136本もあるが、この後の小田急車両ではこれよりも増加している。

 1964年に5連6本、1965年に5連4本、1966年に5連6本、1967年に5連4本、1968年に5連2本造られ、これとは別に、6連化用の付随車(T)が1967年に12両(2751~2758,2767~2770)、1968年に10両造られている。竣工は番号順ではなく、出来た物から投入したいという逼迫した事情が窺われる。面白いのは、6連化が始まった1967年以降も、竣功時には全て5連で登場している点。ごく短期間だけ5連であった編成も存在するわけである(2669F,2670Fは1967年10月16日竣功、2769,2770は同10月27日竣功。実際は5連で走った事はなかったはず)。
 前述のように、6連化の増結車は電動車(M)になるはずだったが、変電所容量の関係から暫定的にT車として登場している(電動車用台車を履いているのはその為)。しかし、その後電装化されたのは2762がインバータのテスト用に1986年1月から1987年11月にかけて使用されたほかは、8連化で登場したサハ寄せ集め8両編成までない。ちなみに当初増結車は新宿方から2両目に挿入される計画であったと言うが、実際は乗客の多い新宿方に電動車を集めて粘着重量を増す為に、新宿方から5両目に挿入された。


2762 藤沢-藤沢本町 1987年2月
VVVFインバータ制御の試験中の写真。
車体修理と同時期に電装された。川崎重工施工だったと思うが、出張工作だったかもしれない。
(この件について明確に記述された文献が見つからない。)

 冷房改造は1973年より始められ、1977年までに2661F~2672Fの12本が施工されており、同時に行われた側面表示機の取付は、ここまでが一体型で、それより後に施工された残りは分割型である(8連化された車両については、その時に分割形に改造され、2661Fについては2000年度後半頃に分割形に改造されている)。
 また、1975年3月(1974年度)迄に施工された2664F~2668F、2670F~2672Fの8本はサイクルファンであるが、それより後に施工されたものはラインフローファンである。改造時に新宿から4両目の2800番台車の新宿方貫通路に風の吹き抜け防止用の仕切り戸が設置されたが、最後に改造された2652Fだけが窓枠が金属枠で他の車両はゴム枠である。(非冷房時代の写真はこちら)
 その後1985年辺りから車体の修理が始まった。車体修理の内容も、1985年度は車体構造には手を加えなかったようだが、1986年度からドア回りの溶接構造まで変更するようになり、1987年度からは妻窓が2段開閉可能だった物が固定窓に改造されているなど、本格的な修繕に変わっている。

 1991年の脱線事故を契機に編成の組換えが始まり、一部余剰車に廃車が発生。その後、2000年度から2000形3000形により本格的な駆逐が始まった。詳細は次項に記す。
 最後に残った2670編成は、2003年10月に旧塗色に塗り替えられて最後の活躍をしていたが、小田急はこの編成を2004年6月5日に引退させると発表、定期運用から離脱し、そのまま2004年6月16日に除籍されている。
 新宿方先頭車2670号は塗分位置が新塗装の青帯上縁と同じ位置であったのを登場時の位置へ若干下げる修正を行って保存されている。

 履歴:
  ●竣工

 1964年9月30日、2651+2601+2701+2801+2851川崎車輌、2654+2604+2704+2804+2854東急車輛
 1964年10月27日、2652+2602+2702+2802+2852、2653+2603+2703+2803+2853川崎車輌、2655+2605+2705+2805+2855、2656+2606+2706+2806+2856日本車輌
 1965年9月17日、2657+2607+2707+2807+2857、2658+2608+2708+2808+2858日本車輌
 1965年10月8日、2659+2609+2709+2809+2859東急車輛、2660+2610+2710+2810+2860川崎車輌
 1966年9月14日、2661+2611+2711+2811+2861、2662+2612+2712+2812+2862、2663+2613+2713+2813+2863川崎車輌
 1966年11月2日、2664+2614+2714+2814+2864、2665+2615+2715+2815+2865、2666+2616+2716+2816+2866日本車輌
 1967年5月23日、2667+2617+2717+2817+2867日本車輌
 1967年6月1日、2668+2617+2718+2818+2868日本車輌
 1967年10月16日、2669+2619+2719+2819+2869、2670+2620+2720+2820+2870川崎車輌
 1968年7月9日、2671+2621+2721+2821+2871日本車輌、2672+2622+2722+2822+2872川崎車輌
 1967年10月27日2751、2752、2753、2754、2770川崎車輌、2755、2756、2757、2758、2767、2768、2769日本車輌。2651+2601+2701+2801+2751+2851、2652+2602+2702+2802+2752+2852、2653+2603+2703+2803+2753+2853、2654+2604+2704+2804+2754+2854、2670+2620+2720+2820+2770+2870、2655+2605+2705+2805+2755+2855、2656+2606+2706+2806+2756+2856、2657+2607+2707+2807+2857+2857、2658+2608+2708+2808+2758+2858、2667+2617+2717+2817+2767+2867、2668+2618+2718+2818++6+2768+2868、2669+2619+2719+2819+2769+2869の6連12本に組成された。
 1968年10月30日、2759、2764、2765、2766、2671日本車輌、2760、2761、2762、2763、2672川崎車輌。2659+2609+2709+2809+2759+2859、2664+2714+2714+2814+2764+2864、2665+2615+2715+2815+2765+2865、2666+2616+2716+2816+2766+2866、2671+2621+2721+2821+2771+2871、2660+2610+2710+2810+2760+2860、2661+2611+2711+2811+2761+2861、2662+2612+2712+2812+2762+2862、2663+2613+2713+2813+2763+2863、2672+2622+2722+2822+2772+2872の6連10本に組成された。

  ●車体修理
 1985年度:2669F、2662F、2661F、2663F
 1986年度:2664F、2666F、2671F、2667F
 1987年度:2665F、2672F、2670F、2668F
 1988年度:2653F、2656F、2655F、2657F
 1989年度:2658F、2659F、2660F、2651F
 1992年度:2604,2704,2804

  ●編成組替・改番・除籍
 1991年10月11日に台風の被害で2671Fが多摩線内で脱線し、事故車の2771,2871の2両が1992年2月28日に廃車。その後2654Fの2754,2854を2671Fにくっつけて復活(2671Fが更新修理をしたばかりだったので、こういう措置を取ったらしい)。2654,2604,2704,2804は保留。
 1993年2月15日、2651+2604+2704+2804+2601+2701+2801+2851と編成替して2654+2604+2704+2804+2624+2724+2824+2874と改番。番号ダブりとなる旧2654は2954に改番となり、2751と共に保留。(2604,2704,2804が車体修理の上復活。2700番台の電動車のパンタグラフは撤去された。)
 1993年8月1日、2655+2605+2705+2805+2606+2706+2806+2856と編成替して2655+2605+2705+2805+2625+2725+2825+2875と改番。2755,2855,2656,2756は保留(この時点で2954,2751と併せ保留は6両)。
 1993年10月25日、2657+2607+2707+2807+2608+2708+2808+2858と編成替して2657+2607+2707+2807+2627+2727+2827+2877と改番。2757,2857,2658,2758は保留(この時点で保留は10両)。
 1994年1月23日、2659+2609+2709+2809+2610+2710+2810+2859と編成替して2659+2609+2709+2809+2629+2729+2829+2879と改番。2759,2660,2760,2860は保留(この時点で保留は14両)。
 1994年3月31日、2656,2658,2855,2857,2954の5両が除籍。2658以外は解体処分(この時点で保留が9両。Tc2両、T7両)。2658は辻堂海浜公園に展示中。
 1995年1月16日、2660+2755+2756+2758+2759+2757+2760+2860と組成して2666+2616+2716+2766+2686+2636+2736+2886と改番。電装化するのに当り、インバータ装置は2000形と同じ物を新調、電動車の台車は4000形で採用実績のあるTS-818の細部を変更したTS-818Aを新調して履かせている。
 これに先立って、番号ダブりとなる旧2666を2966に、2766を2771に改番している。他に、2866も2871に改番されており、2771,2871の2両が1995年8月7日に2671Fにくっついていた2754,2854と入れ替えられて編成中の末尾番号が整理されている。
 1995年2月9日に2966,2751,2764の3両が除籍。
 1995年2月24日に2664+2614+2714+2814+2616+2716+2816+2864と組成して、2656+2606+2706+2806+2626+2726+2826+2876と改番。
 1996年6月30日2754,2854の2両が除籍。
 2000年4月10日2666Fが除籍。制御装置を2000形増備車に譲って廃車。
 2000年11月13日、2656Fが除籍。
 2001年1月15日、2655Fが除籍。
 2001年2月2日、2654Fが除籍。
 2001年4月23日、2657Fが除籍。2657は神奈川県消防学校に寄贈。
 2001年5月21日、2659Fが除籍。
 2002年2月18日、2652Fが除籍。
 2002年3月1日、2661Fが除籍。
 2002年3月16日、2669Fが除籍。
 2002年7月23日、2662Fが除籍。
 2003年2月13日、2653Fが除籍。
 2003年3月18日、2665Fが除籍。
 2003年4月15日、2668Fが除籍。
 2003年5月12日、2667Fが除籍。
 2003年6月4日、2672Fが除籍。
 2003年6月24日、2671Fが除籍。
 2003年7月8日、2663Fが除籍。
 2004年6月16日、2670Fが除籍。

各編成の最終的所見
 6連(銘板新調とあるのは、晩年オリジナルと違う車内銘板の取付を確認したもの。冷房改造時に新調したものと推察。)
・2651F 1995年2月9日2751が除籍、他は2654F8連に組替えられた。
・2652F 川車銘板新調。冷房改造時に座席蹴込みをステンレスに変更しなかった唯一の編成で、最後まで車体修理されずに残り、廃車になるまで座席蹴込みが鉄製緑色塗装のままで窓上段指掛けも長円穴の掘り込みであった。
・2653F 川車銘板新調。
・2654F 1996年6月30日2754,2854が除籍、他は2654F8連に組替え。2754,2854は2771Fの事故車代替として使われていた。
・2655F 1994年3月31日2855が除籍、2755が2666F2616、他は2655F8連に組替え。
・2656F 1994年3月31日2656が除籍、2756が2666F2716、他は2655F8連に組替え。
・2657F 1994年3月31日2857が除籍、2757が2666F2636、他は2657F8連に組替え。
・2658F 1994年3月31日2658が除籍、2758が2666F2766、他は2657F8連に組替え。2658は辻堂海浜公園に展示中。
・2659F 2759が2666F2686、他は2659F8連に組替え。
・2660F 2660が2666F2666、2760が2666F2736、2860が2666F2886、他は2659F8連に組替え。
・2661F 川車銘板新調。
・2662F 川車銘板新調。
・2663F
・2664F 1995年2月9日2764が除籍、他は2656F8連に組替え。
・2665F 
・2666F 1995年2月9日2666(2966)が除籍、2766が2771,2866 が2871に改番され2671Fに組込。他は2656F8連に組替え。
・2667F 日車銘板原形。
・2668F 日車銘板原形。
・2669F 川車銘板新調。
・2670F 川車銘板新調。2001年12月に2600形では最後に全検出場した。2003年11月の鉄道の日にちなみ旧塗色に塗替え。
・2671F 日車銘板新調青。台風による土砂崩れで2771、2871を失い、代わりに2754、2854を借りて暫く走っていた。後に組替えて末尾番号がそろえられたがその時の2771,2871は夫々旧2766,2866。2871(旧2866)の妻窓の指掛けは長円掘り込み。
・2672F

 8連
・2654F 編成組替えに先立ち1992年度に車体修理の2604,2704,2804と1990年度車体修理の2651Fの合成。
・2655F 1988年度車体修理の2655F,2656Fの合成。
・2656F 1986年度車体修理の2664F,旧2666Fの合成。
・2657F 1988年度車体修理の2657Fと1989年度車体修理の2658Fの合成。2657が神奈川県消防学校に寄贈された。
・2559F 1989年度車体修理の2659Fと1990年度車体修理の2660Fの合成。
・2666F 余剰のクハ2650とサハ2650の電装により組成。

 編成番号が8連が4,5,6,7,9,16、6連が2,3,11,12,13,15,17,18,19,20,21,22と小田急にしてはバラバラだったのには理由があったようだ。
 残りの6連を全て8連にするつもりで付番していたようなのだ。
 残り6連12本をまず2本ずつペアにして8連を6本作り、これに1,2,3,8,10,11と付番し、余剰のTc12両のうち4両とT12両を使ってインバータ制御の編成を2本作り、これに17,18と付番すれば、抵抗制御車が1~11、インバータ制御車が16~18とすっきりする。
 結果的に8連14本112両が残り、除籍はTc16両、T4両の20両という事になる。
 先にTが4両解体されたのは、全部8連に組み替えたとしても、4両余剰になるのが確定していた為だと考えらる。
 8連化は複々線化を睨んだものと思われ、当初の計画通りであれば、2600形全てを8連化して2000形とともに緩行線を走っていたはずである。
 しかし複々線化の進捗は極めて悪く、2600形の8連化は中断。は当初の思惑からはずれ、複々線化後の活躍をすることなく、2000年度に増備された2000形と引き換えに8両編成が順次廃車された。2001年度からは新型通勤車3000形により6両編成の駆逐が開始され、2004年度に全車引退した。
 小田急電車は異様にパンタグラフの数が多いと言う特徴があるが、小田急自身この異様さに気づいたのか、2600形6連に限って3個あるパンタグラフのうち真ん中の1個を下げて使用していた。しかし何故か2001年1月に入って3個使用に戻している。パンタグラフは騒音発生源のひとつであるので、削減が必要であるが、5000形6両編成のものについては、車体修理時にパンタグラフを1個撤去し、ようやく削減する方向に動き出した。

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