小田急電鉄2400形2005年12月11日修正、写真ページ追加


本鵠沼−鵠沼海岸にて

本稿は、2005年9月に本ホームページ用に纏めました。

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概要:
 1954年から製造されていた高性能車2200系は全電動車で製造コストが高く製造数量が多く取れず、戦前からのの小型車、中性能車を縫う様に走らせてもダイヤ全体の高速化には限界があった。また、2200系自身も全電動車で重量が重く、消費電力が大きいと言う問題があった。
 そこで、電動車比率を1:1として経済性を向上し、大量投入すべく計画されたのが2400形である。
 2200系並の走行性能を目標に設定した為、空転抑制の為に徹底して機器を電動車に集中させ、電動車の全長を大きく取った。編成全長は2200系4両編成に揃えられた為、電動車が全長19.3mであるのに対して、制御車は15.97mしかない。
 システム的には、2200系の電動機出力75kwに対し、狭軌のWN駆動としては当時最大の120kwとし、空転抑止の為に副抵抗器を使用したバーニヤ制御を採用、制御段数は2200系の21段に対し、2400形は当初83段もあったが、これは後に力行25段、並列31段、弱界磁7段、制動55段に整理されている。
 車体構造は、概ね2200系を踏襲し、車体幅は2700mmしかなく、本格採用となった1300mmの出入り口の下部には50mmのステップが付いて総幅は2800mmとなっている。室内幅は2500mmと狭い上に急行運用に配慮して座席の奥行きを600mmと大きく取った為、座席間は1300mmしかない(室内の写真はこちら)
 前頭部の形状は従来の車輌のデザインを踏襲し、前面半径5000mmの半流線型の形状で、前照灯は当初から2灯。これは小田急では初であるが、実は常時使用は1灯で、1つは予備灯である。

 動力性能向上の為、徹底して軽量化され、第一陣は外板1.6mm、屋根板1.2mmと思い切って薄い鋼板を使用したが巧くいかず、第二陣以降は外板2.3mm、屋根板1.6mmにされている。台車は住友金属製のアルストムリンク式で電動台車は電動機の大型化に伴い車輪直径910mm、軸距2200mmのFS330。付随台車は軽量化の為車輪直径762mmという小径とされ、軸距2000mmのFS30を履く。車輌重量はクハ2450が20.22t、デハ2400の奇数車が33.37t、偶数車が35.30tである。
 駆動装置は平行カルダンの1つであるWN駆動を採用しながら、大出力の120kw/340Vの三菱電機MB-3039-Aを使用している。1954年の2200形登場時は75kw(100馬力)で直角カルダン駆動、1958年の2220形でようやくWN駆動を採用、1959年の2400形で120kwに到達しているから、この時期の電機メーカーの電気品の改良には目を見張るものがある。歯数比は92:15=6.13で、2200形の4.9に比べかなり高回転の設定である。

 1959年から1963年にかけて4両編成29編成、116両が造られている。付番は新宿方から2450(奇数)+2400(奇数)+2400(偶数)+2450(偶数)で第1編成が2451+2401+2402+2452、第2編成が2453+2403+2404+2454。以下同様に追って番号が付けられたが第25編成が2499+2449+2400+2450となって2400番台を使い果たした為、第26編成で2551+2501+2502+2552と番号が2500番台に突入している。形式毎に追い番として編成の末尾番号が揃わない付番は通勤型ではこの2400形が最後である。製造期間中の目立った変更はなく、どの編成も外観は大変良く似ている。
 1968年に2478に試験的に冷房装置CU-12を5台取り付けたが、これはそのまま廃車になるまで使用された。1968年から1969年にかけてATSを装備、前面種別装置の取り付け、先頭連結器を回り子式の密着連結器に交換している。1972年に2551にスカートを取り付けたが中型車はなぜか不採用となり1977年に撤去されている。1979年から1982年に車体修理が25編成について行われたが、見た目に大きな変更は行われなかった。晩年電動機の絶縁の改良を行い5000形と同等に引き上げられているが、公称値の変更は行われていない。廃車後、電動機は4000形に転用されている。
 箱根登山鉄道へは大型車の入線制限から永らく2400形が主力として使用されてきたが制限撤廃後の2400形は主力の座から転落。1983年から高性能車2200系の廃車が開始され、1984年に完了すると、1985年から直ちに2400形の廃車が始まった。1989年3月に最後の編成が除籍された。途中で改番された車輌は1両もない。除籍後譲渡や保存された車輌はなく、全車が解体されている。神奈川県立辻堂海浜公園交通展示館にクハ2450のFS30台車が展示されている(写真はこちら)

 2400形の電動車に夏場に乗ると、停車中に床下の抵抗器から立ち上る熱気が窓から入ってきて嫌な思いをする一方で、小田急では運転台直後に座席のある最後の形式で、ここに座れると何だか得した気分になったものだが、もう随分な昔話になってしまった。

履歴:
 ●竣工

 1959年12月21日、2451+2401+2402+2452日本車輌
 1960年2月3日、2453+2403+2404+2454日本車輌、2455+2405+2406+2456、2457+2407+2408+2458川崎車輌
 1960年7月25日、2459+2409+2410+2460、2461+2411+2412+2462日本車輌
 1960年8月25日、2463+2413+2414+2464、2465+2415+2416+2466川崎車輌
 1961年3月17日、2467+2417+2418+2468、2469+2419+2420+2470日本車輌
 1961年3月31日、2471+2421+2422+2472川崎車輌
 1961年9月4日、2473+2423+2424+2474川崎車輌
 1961年9月25日、2475+2425+2426+2476日本車輌
 1962年4月14日、2477+2427+2428+2478川崎車輌
 1962年7月5日、2479+2429+2430+2480川崎車輌
 1962年7月23日、2481+2431+2432+2482川崎車輌
 1962年8月18日、2483+2433+2434+2484日本車輌
 1962年8月24日、2485+2435+2436+2486日本車輌
 1962年8月30日、2487+2437+2438+2488日本車輌
 1963年3月11日、2489+2439+2440+2490日本車輌
 1963年3月18日、2491+2441+2442+2492日本車輌
 1963年3月25日、2493+2443+2444+2494日本車輌
 1963年4月1日、2495+2445+2446+2496川崎車輌
 1963年4月10日、2497+2447+2448+2498川崎車輌
 1963年4月13日、2499+2449+2400+2450川崎車輌
 1963年4月22日、2551+2501+2502+2552川崎車輌
 1963年5月9日、2553+2503+2504+2554川崎車輌
 1963年6月11日、2555+2505+2506+2556日本車輌
 1963年6月17日、2557+2507+2508+2558日本車輌

●除籍
 1985年4月1日、2557編成
 1985年4月6日、2451編成
 1985年4月16日、2453編成
 1985年11月30日、2477、2499編成
 1986年4月11日、2495、2551、2553編成
 1986年11月30日、2455、2463編成
 1986年12月29日、2481、2485編成
 1987年2月12日、2465編成
 1987年10月31日、2459、2473編成
 1987年12月16日、2461、2467編成
 1988年1月14日、2457、2487編成
 1988年3月31日、2469、2489、2497編成
 1988年9月29日、2493編成
 1988年10月24日、2475編成
 1988年11月30日、2479編成
 1988年12月10日、2491編成
 1989年1月31日、2555編成
 1989年2月28日、2471編成
 1989年3月20日、2483編成

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