小田急電鉄2200系2007年5月13日修正


本鵠沼-鵠沼海岸にて。1977年。

本稿は、2006年1月に本ホームページ用に纏めました。

ここでは、2200形の流れを汲む、2300形、2220形、2320形を纏めて2200系として扱います。
小田急自身も2300形、2220形、2320形が2両固定編成、3ドアロングシートに統一された後は2200系として纏めて扱っています。

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概要:
 終戦後、国鉄80系電車(湘南色の電車ギャラリーその1参照)が運転台を持たない中間電動車方式を打ち出し、編成単位という概念が登場、長距離電車列車に使用され、電車列車に対する期待が高まってきた。一方、日本国有鉄道、車輌メーカー、電機メーカーは積極的に新技術の開発に取り組み、そのひとつの結果が1953年登場の営団地下鉄丸ノ内線300型電車であった。
 小田急では各メーカーが小田急線を借りて試験をするという機会に恵まれ、1953年に軽量車体、軽量台車を使用した過渡的な電車2100形が登場している。
 そんな中、小田急にもメーカー各社から売込みがあったと推察され、結果的に三菱電機の電機品、新三菱重工の制動システム、住友金属の台車を採用して2100形の車体を組み合わせる形で登場したのが2200形である。

 システム的には、制御装置が戦前からのABF系の流れを汲み発電ブレーキを装備したABFM108-MDHB、電動機は直角カルダン駆動の軽量高回転設計、制動装置は発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキHSC-D(High-Speed-Control-Dynamic)の組み合わせである。一番の特徴は電動車を2両永久固定連結として機器を2両で1式とした点で、1年遅れて登場した2200形の特急版2300形では中間電動車も登場し、1958年以降は駆動方式をWN駆動に変更しており、抵抗制御の高性能電車の基礎的な部分がここで完成したと言える。

●2200形2201~2216
 1954年7月にお披露目された2200形は制御装置が三菱電機のABFM108-MDHBで制御段数は直列10段、並列11段、弱め界磁段不明(調査中)、制動13段。
 制動装置は新三菱重工製の発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキHSC-Dで、これはウエスチングハウスの技術導入である。小田急自身は日本初と言っている様だが、HSCそのものは、営団が先に採用したSMEEと大差は無いようだ。
 主電動機は75kw(100馬力)/340Vの三菱電機MB-3012-B2。駆動方式は直角カルダンで歯数比は59:12=4.9。
 奇数号車に主要機器とパンタグラフが搭載されている。パンタグラフは編成端部にある。重量は奇数号車が31t、偶数号車が30tで編成重量が61t。2100形の59.7tとほぼ同じであるが、MT編成の2100形から全電動車になっている点に鑑みると、機器類の軽量化が顕著である事がわかる。
 台車は車輪径860mm、軸距2000mmのアルストムリンク式の住友金属FS-203で、これは名前の通りアルストームの技術導入である(アルストムリンク式としては日本初らしい)。
 車体構造は、概ね2100形を踏襲している。車体幅は2700mmで総幅が2800mm、ドア幅は1100mmの片開きで片側3箇所、全長17570mmで車体長は17000mmでこれらの数値は2100形と同じであるが、座席幅が若干広げられ、ドア位置が僅かに変更されている。前頭部が非貫通で運転台窓が大きく、その為、猫というあだ名が付いた。貫通路は1080mm幅で、両開きの貫通ドアが設けられていたらしいのだが後に撤去されたのか、私個人は見た記憶がない。
 1957年4月竣工の2213~2216は車体が半鋼製から全鋼製になり、窓枠がアルミサッシに変更されているが、窓枠は後に全車交換されている。

●2300形2301~2304
 1955年3月に入線した2300形は2200形の特急版で4両固定編成。機器構成は2200形とほぼ同一であるが、2200形を背中合わせにした編成構成で、2301と2302が逆向き。パンタグラフは2両ユニットの中央寄りにある。これはパンタグラフが隣接するのを嫌ったのと、重い車輌を編成中央に持っていって安定させる意味合いがあった物と推察される。重量は2301、2304が33.5t、2302、2303が34tで装備品の都合でやや重くなっている。
 車体は幅が2800mmに広げられている。車体長は2200形と同じであるが先頭車の連結器が70mm引っ込んでいて4両とも全長は17500mmである。客用ドアは両先頭車の中央寄りに1箇所1100mm幅の手動の引き戸が設けられ、中間車にはない。
 喫茶コーナーは2303の車輌中央海側に座席6列分を使って設けられており、便所は2302に設けられていた。座席は転換リクライニングシートで座席定員は2301、2304が60名、2302が66名、2303が54名だった。
 前頭部の形状は非貫通で傾斜が付いている。いわゆる湘南形スタイルであった。

●2220形2221~2236
 2200形の4両固定編成版としての位置付けだが、登場が1958年3月と、期間が空いている為、その後の電機品の改良により、駆動方式を直角カルダンからWN駆動に変更している。
 主電動機は三菱電機MB-3032-A。駆動方式はWN駆動で、この後WN駆動が小田急の通勤車の標準となる。歯数比は81:16=5.06に上げられている。台車は住友金属のFS-316で、リンクの位置関係が若干変更されるなど、細部が変更されている。注意しないといけないのは主電動機の型番で、MB-3012-Aとする文献が多いが、これはどこかで転記ミスがあったものと推察され、MB-3032-Aの方が正しい様だ。
 新宿から2両目の下り方海側に便所が設置されていた。
 前頭部の形状は貫通路付に戻されている。
 車体は2200形に準じており、車体長は全車17000mmであるが、運転台側の連結器が70mm出ている為、全長は先頭車が17570mm、中間車が17500mmである。

●2320形2321~2328
 1959年に登場した2220形の2ドアセミクロスシート版。
 客用ドアは幅1300mmの両開きで、ドア間にクロスシートが3ボックスと3人掛けロングシートが設けられていた。便所の設置位置など、その他の装備は2220形と殆ど違わない。

●2200形2217+2218
 1959年に2220形の後に造られた2両編成。2両編成である為、2200形とされているが、機器類は2220形に準じており、2220形の2両編成版といえる。
 台車は住友金属製のアルストムリンク式であるが、空気バネのFS-321を履いている。この台車は空気バネ使用による横剛性不足を補うためか、ボルスタアンカが設けられている。

 初代3000形SE車の増備により、1959年に2300形が2ドアセミクロスシートに改造された。室内の装備は2320形とほぼ同じにされた。この時、前面下部の急行表示灯が撤去され、行き先表示機が設置されているが、形状は湘南形スタイルのままであった。
 6両編成化に対応する為、2400形4両編成に2200系2両編成を増結する事になり、2200系は全車2両編成に統一される事になった。1963年に2220形、2300形、2320形の中間車に運転台設置工事が行われている。同時に便所も撤去され、2300形、2320形は3ドアロングシートに改造された。この時2300形にはクハ2450形と同様な運転台が設置され、特徴ある前面は失われた。
 2220形の2両編成化は、改造を伴わない4両編成の両端に位置する両先頭車を組ませてまず2両編成とし、中間車2両を改造した後、また元に戻している。すなわち、2221+2222+2223+2224の編成の場合、中間2両を外して2221+2224の2連で運用に入り、2222と2223の改造工事後、2221+2222と2223+2224の2両編成2本に組み直している。改造工事による車輌不足を防ぐ為の組み換えだろう。
 2300形、2320形は全車車体の改造工事を含むのでこういう組み換えは行われていないが、2301と2302は元々逆向きに使用されていたので改造時に向きを変えて番号を入れ替えている。つまり、2301が2302に、2302が2301になったのである。
 改造の結果、全車が全長17570mmに統一されている。

 余談であるが、国鉄ではモハ90(101系電車)以降のカルダン駆動車を高性能電車と呼ばず新性能電車と呼んでいるが、これは当初全電動車方式で計画されたがカルダン駆動車が第二弾の151系以降全電動車方式をやめ、101系電車も変電所負荷低減の為トレーラーを連結して高性能と呼ぶほどの動力性能を得られなくなった事に由来するらしい。
 吊り掛け駆動の電車を旧性能電車とし、対するカルダン駆動車を新性能電車としたのである。
 小田急では2200形以降を一貫して高性能車と呼んでいる。

 1983年、箱根登山鉄道への大型車の乗り入れが始まると、輸送単位の小さい中型車は行き場を失う。これに先行する形で1982年から2200系の廃車が始まった。1984年に全車運用離脱している。
 このうち、2201+2202が保管されたほか、2218が神奈川県立辻堂海浜公園に貸与されたが後に2658と入れ替わって解体されている。
 他社に譲渡された物は以下の通りであるが、既に全車引退している。
 2211+2212、2223+2224、2225+2226、2227+2228、2301+2302、2303+2304、2325+2326、2327+2328→富士急行。
 2229+2230→新潟交通(新潟交通のページを参照)。

 履歴:
  ●竣工

 1954年度、2201+2202、2203+2204日本車輌、2205+2206、2207+2208川崎車輌
 1955年度、2301+2302+2303+2304東急車輛
 1956年度、2209+2210、2211+2212日本車輌
 1957年度、2213+2214、2215+2216川崎車輌、2221+2222+2223+2224、2225+2226+2227+2228、2229+2230+2231+2232日本車輌・川崎車輌
 1958年度、2217+2218川崎車輌、2233+2234+2235+2236日本車輌、2321+2322+2323+2324、2325+2326+2327+2328川崎車輌

  ●改造
 1959年度、2301+2302+2303+2304、2扉セミクロスシート化
 1962年度、2222、2223、2226、2227、2230、2231、2234、2235に運転台設置、2222、2226、2230、2234の便所撤去の上、2221+2222、2223+2224、2225+2226、2227+2228、2229+2230、2231+2232、2233+2234、2235+2236の2両編成8本とする。
 1963年度、2301+2302+2303+2304を3扉ロングシート化、2302、2303に運転台取付、2302の便所撤去の上、2301→2302、2302→2301と改番、2301+2302、2303+2304の2両編成2本とする。
 1963年度、2322、2323、2326、2327に運転台設置、2322、2326の便所撤去の上、2321+2322、2323+2324、2325+2326、2327+2328の2両編成4本とする。

  ●除籍
 1982年8月3日、2211+2212、2301+2302、2303+2304
  2211+2212は富士急行に譲渡され、モハ5708+モハ5707となったが1996年9月30日に除籍、山梨県一宮町で保存。
  2301+2302、2303+2304は富士急行に譲渡され、モハ5702+モハ5701、モハ5706+モハ5705となったが5702+5701が1993年10月10日に除籍、5706+5705が1995年10月30日に除籍
 1983年6月30日、2201+2202、2203+2204、2205+2206
  2201+2202は小田急が保存。後に塗色が旧塗装に復元されている。
 1983年7月31日、2207+2208、2209+2210、2213+2214
 1983年8月31日、2215+2216、2325+2326、2327+2328
  2325+2326は富士急行に譲渡され、モハ5712+モハ5711となったが1997年3月31日に除籍
  2327+2328は富士急行に譲渡され、モハ5716+モハ5715となったが1994年12月15日に除籍、5716は山梨県竜王町で利用されている。
 1984年5月9日、2233+2234、2235+2236、2321+2322
 1984年6月30日、2217+2218、2221+2222、2223+2224、2225+2226、2227+2228、2229+2230、2231+2232、2323+2324
  2218は神奈川県立辻堂海浜公園に貸与され展示されていたが1994年9月に解体。
  2223+2224は富士急行に譲渡され、モハ5718+モハ5717となったが1997年3月31日に除籍
  2225+2226は富士急行に譲渡され、モハ5722+モハ5721となったが1995年10月30日に除籍
  2227+2228は富士急行に譲渡され、モハ5726+モハ5725となったが1996年3月31日に除籍
  2229+2230は新潟交通に譲渡され、モハ2229+モハ2230となったが1999年4月5日に除籍(新潟交通のページを参照)

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