新潟交通2005年6月25日レイアウト修正


モハ24

1999年4月5日に廃止になった新潟交通について記します。
内容は1998年5月にまとめたものに加筆修正したものです。
写真は全て1998年4月30日に撮影したものです。

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晩年の在籍車両 / 廃止前の廃車 / 全通開業時の車輌 / 路線、設備、他 / 沿革 / 経営 / 参考文献

新潟交通に関する車輌以外の写真

 ●晩年の在籍車輌。(全車1999年4月5日付で除籍された)
保存されている3両以外は2003年3月に全車解体されてしまった。

 ○モハ10型(11、12、14) 11の写真 12の写真
 最大寸法17,030×2,734×4,110。定員120(114?)、座席定員38。自重31.7t。主電動機MB-WH556-J6(11、14)SE119H(12)。出力75kw×4(11、14)56kw×4(12)。1933年日本車輌製造のモハ11形(車番変更無し)。1966年(11)、1968年(12)、1963年(14)日本車輌製造で車体新造。台車D-14。間接非自動制御。モハ14は広告電車。11は月潟村に譲渡、モワ51、キ116と共に月潟駅構内に保存。

 ○モハ18型18 写真
 最大寸法17,030×2,734×4,110。定員120(114?)、座席定員38。自重31.7t。主電動機MB-WH556-J6。75kw×4。1925年日本車輌製元宮城電鉄の買収国電クハ6300の元東武デハ9。1962年日本車輌にて車体新造。台車ブリル27MCB-2(D-14?)。間接非自動制御。広告電車。

 ○モハ19型19
 最大寸法17,030×2,734×4,110。定員120(114?)、座席定員38。自重31.7t。主電動機MB-WH556-J6。75kw×4。1924年日本車輌製元東武デハ6。1960年日本車輌にて車体新造。台車ブリル27MCB-2。間接非自動制御。

 ○モハ20型21
 最大寸法17,030×2,734×4,110。定員120(114?)、座席定員38。自重31.7t。主電動機MB-WH556-J6。75kw×4。1933年日本車輌製モハ13。1967年日本車輌にて車体新造。台車ブリル27MCB-2。間接非自動制御。

 ○モハ24型(24、25)
 最大寸法17,030×2,734×4,110。定員120(114?)、座席定員38。自重31.7t。主電動機SE119H。56kw×4。1923(1924?)年日本車輌製元東武デハ7で旧モハ17(24)、1935年日本車輌製旧モハ15。1969年日本車輌にて車体新造。台車D-14。間接非自動制御。モハ24は前面に新潟交通のマークが無い(上の写真参照)。

 ○クハ45型46 写真
 最大寸法16,760×2,728×3,880。定員126、座席定員52。自重24.7t。1944年日本鉄道自動車製造の旧クハ35。台車KS30L又はKS31L。車体は元小田急1408(1967年11月10日付で廃車)。民間業者に引き取られ埼玉県長瀞町で保存。

 ○モハ2220型2229、2230 写真
 最大寸法2229:17,570×2,736×4,130、2230:17,570×2,736×3,875。定員130、座席定員48。自重2229:33.7t、2230:32.1t。主電動機MB3012B2。75kw×4。WN駆動。パンタグラフ・制御装置は2229に設置、補助電源装置・コンプレッサーは2230に設置。1958年川崎車輌製造。台車FS-316。元小田急2229,2230。1984年6月30日付で廃車。小田急大野工場でワンマン化改造の後、1985年1月14日に新潟交通に発送。鉄道ピクトリアル誌No.692新車年鑑2000年版P.199に月潟村に譲渡とあるが、そういう事実はない模様。

 ○モワ51型51 写真
 最大寸法11,150×2,430×4,025。積載量10t。自重25.6t。主電動機WH556-J6。75kw×4。1933年8月21日、日本車輌東京支店製造。台車D14。電動貨車。開業当時からの原形を保っている。月潟村に譲渡、モハ11、キ116と共に月潟駅構内に保存。

 ○キ100型116 写真
 最大寸法11,390×2,621×3,885。自重30.3t。1932年鉄道省大宮工場製旧国鉄キ116。1968年に譲受。電車と総括制御が可能な雪かき車。月潟村に譲渡、モハ11、モワ51と共に月潟駅構内に保存。

 以上計13両。他に、なぞの動力車が一両。→写真

 ●廃止前の廃車

 1989年12月31日
 ○クハ36型36
 最大寸法16,054×2,720×3,876。定員114。1947年製造。台車KS30L又はKS31L。1969年に車体を元小田急1352(1968年9月25日付で廃車)に振替。

 ○クハ37型37
 最大寸法16,340×2,734×3,760。定員116。1934年新潟鉄工所製造。旧鉄道省キハ41080を1952年に払下げ。1972年に台車交換、車体を改造(扉位置変更、前面2枚窓化)。

 ○チ111型111・114(1969年日車製のワ111・114の改造)

 ○ト133型133(日車製)

 ○トラ151型151(1949年にトム143を改造)。解体。

 1993年8月31日
 ○モハ16型16
 最大寸法16,760×2,728(2,734?)×4,114。定員118、座席定員52。自重34.2t。主電動機MB-WH556-J6。56kw×4(75kw×4?)。1927年汽車会社製造。台車ブリル27MCB-2。旧伊那電気鉄道の買収国電モハ1924が種で元小田急1409の車体(1968年9月25日付で廃車)に振り替えた。のち両運転台型に改造。1991年度中に休車となっていた。旧車体は東関屋電車区で倉庫として暫く利用。少なくとも1989年頃まではあったはずだがその後撤去。

 ○クハ45型47、48、49、50
 最大寸法16,760×2,728×3,880。定員126、座席定員52。製造:1933年(47,48)、1936年(49)、1924年(50)日本車輌製。台車KS30L又はKS31L。改造名義で小田急1400型に振替。47が1414(1968年5月14日付で廃車)、48が1412(1968年9月25日付で廃車)、49が1465(1969年5月8日付で廃車)、50が1411(1969年5月8日付で廃車)。47が旧クハ31、48が旧クハ32、49が元神中キハ31の旧クハ33、50は元東武デハ9の旧クハ40。49,50はワンマン対応改造がされなかった。解体。1993年4月1日以降は休車扱いだった。50は1991年度中に休車となっていた。
 解体は8月31日を待たずに7月31日区間廃止直後に開始され、例えば47は六分駅で8月7日に既に解体中の写真が有る(鉄道ピクトリアル597P80)。

 1993年12月31日
 ○クハ45型45
 最大寸法16,760×2,728×3,880。定員126、座席定員52。自重24.7t。1944年日本鉄道自動車製造のクハ34が種車。台車KS30L又はKS31L。両津市の遊覧船会社(加茂湖観光?)に売却、1995年3月に佐渡島に渡り改装の上4月から両津で待合室として使われている。車体は元小田急1416(1967年4月15日付で廃車)。
 ちなみに小田急から譲渡されたのは1352(36)、1408(46)、1409(16)、1411(50)、1412(48)、1414(47)、1416(45)、1465(49)、2229、2230。

 1975年3月末現在の在籍車輌。
  車輌総数27、客車総数18、制御電動車9、制御車9、電動貨車1、有蓋貨車3、無蓋貨車4、ラッセル車1。

 ●全通開業時の車輌
  車輌総数17、客車総数8、軌道線用単車2(モハ1、2)、ボギー電動車4(モハ11-14)、制御車2(クハ31、32)、電動貨車1(モワ51)、貨車8(ワ111-114、ト131-133、ワフ101)。

 ●路線、設備、他
 軌間1067mm、架線電圧1500V
 1925年7月1日中ノ口電気鉄道(新潟市白山浦-西蒲原郡燕町32.2km)の敷設免許申請を鉄道大臣に提出。
 1928年2月14日免許。
 1929年6月30日中ノ口電気鉄道設立。専務取締役奥山亀蔵(新潟水力電気常務)。氏の碑が現在月潟駅構内にある。
 1930年1月新潟水力電気が新潟電気と合併、新潟電力となる。この時新潟電気が所有していた白山-新潟駅間の電気軌道敷設権を新潟電力が引継ぐ。この権利は翌年12月中ノ口電鉄が譲受。
 1931年12月15日東関屋-燕間地方鉄道工事施行認可。
 1932年4月24日東関屋にて起工式。
 1932年7月7日新潟電鉄に改称。
 1933年4月1日東関屋-白根間17.1kmが開業。
 1933年7月28日東関屋-県庁前間が開業。(この区間のみ架線電圧600Vで開業)
 1933年8月15日白根-燕間16.1kmが開業(国鉄と接続する燕が起点)。
 1933年9月5日貨物輸送及び省線との連絡運輸開始。
 1934年8月1日県庁前-東関屋間の貨物営業開始。
 1936年県庁前駅竣功(廃止まで使用された)。
 1963年度利用者630万人。この時がピーク。
 1964年6月19日新潟地震により寸断。
 1965年1月1日東関屋-県庁前間を最後に完全復旧。
 1970年自動信号化。
 1976年白根変電所自動化。
 1979年度営業成績。旅客輸送人員340万人、延べ29百万人キロ、旅客収入554百万円、貨物輸送量39千トン、延べ625千トンキロ、貨物収入16百万円、営業収入599百万円、営業費770百万円。車輌数客車18両、営業キロ33.9km。
 1980年列車無線取付。
 1980年9月東青山駅設置。
 1982年4月ワンマン化。
 1982年6月貨物輸送廃止。
 1984年CTC使用開始。
 1985年6月県庁前駅が白山前駅に改名。県庁が移転したため。旧県庁舎跡には市庁舎が移転している。
 1987年度利用者205万人。
 1989年9月区間廃止案発表。
 1992年3月19日、白山前-東関屋間2.6kmを休止、同31日に廃止(3月20日~31日までは直通代行バスが運行された)。ちなみにこの区間を列車は8分掛かって走っていた。
 1993年7月31日、月潟-燕間11.9kmを廃止。東関屋-月潟間21.6kmとなる。
 1996年度迄の累積赤字約55億円。
 1997年4月、新潟交通が1998年3月電車線の廃止を打ち出す。
 1997年11月26日、沿線7市町村は白根市役所で第2回検討委員会を行う。存続案として新潟駅までの延伸、補助金の交付、ラッシュ時のみの運行、運賃値下げなどを列挙。沿線7市町村で組織された「新潟交通電車線存続対策協議会」へ12月中に最終的な方策を提示する。
 1998年2月26日新潟交通は新潟交通電車線存続対策協議会において、地元が赤字支援をする事を条件に存続する事に方針転換。
 1999年3月末廃止が決定。
 1999年4月4日、実際にはこの日が鉄道営業最終日となった。
 1999年4月5日付で、鉄道営業を廃止。
 2003年3月、東関屋構内に残されていた車輌9両全車が解体された。

 ●沿革
 1919年設立の新潟商会が1925年に転じた新潟自動車商会(1929年に藤崎自動車部ほかを合併)と、1930年設立両新自動車・1923年設立新潟タクシーが1928年に転じた新潟乗合自動車が1932年に合併してできた新潟合同自動車(その後1933年に1922年設立の新潟自動車と1928年設立の新松交通遊覧を合併、1928年設立の白根自動車と、1922年設立の小木自動車と1923年設立の羽茂自動車が1929年合併してできた前佐渡自動車と1927年設立の丸一自動車と1921年設立の佐渡自動車商会が1923年に転じた扶桑自動車商会が1931年に合併してできた佐州合同自動車が1933年に転じた佐渡乗合自動車を1937年に合併、同年?に1927年設立の月岡自動車を合併、1938年に1925年設立の山松商会を合併、1939年に1934年設立の乙自動車ほかを合併、同年?に1925年設立の河口菊蔵ほかが1931年に転じた赤泊自動車を合併、1942年に1926年設立の新発田市街自動車と1930年設立の下越乗合自動車を合併、1943年に1920年設立の瀬波自動車と1928年設立の村上自動車商会が1929年に合併してできた村上市街自動車と1919年設立の村杉出湯温泉自動車を合併)と、1929年6月30日設立の中ノ口電鉄が1932年6月に転じた新潟電鉄(鉄道開業は1933年、バス運行開始は1935年)が1943年に合併して新潟交通となる。

 ●経営
 新潟交通の主たる事業が鉄道事業よりバス事業(約1100両保有)という形態のため、且つ鉄道路線とバス路線が補完する訳ではなく競合しているため(バスの方が安価で速い)、鉄道の改善策が後手でしかも消極的。廃止やむなしといった所であった。

さあ、新潟に行こうか。
【JTB】甲信越地方のおすすめ旅館・ホテル

 ●参考文献
 旅と鉄道:62(87冬)P50、85(92秋)P79。
 鉄道ピクトリアル:534(90/10増)P180、373(92/5)P46、566(92/10)P94、582(93/10増)P96、597(94/10増)P80、612(95/10増)P87、652(98/4増)P41-44、122、127、128、149、150、676(99/10増)P91、692(00/10増)P102、199。
 鉄道ファン:172(75/8)P63、334(89/2)P100、375(92/7)P130、436(97/8)P14(モハ2220形、クハ46に関して誤記有り)。
 鉄道ジャーナル:218(85/4)P106、219(85/5)P142-143、221(85/7)P109、237(86/9)P132、277(89/11)P88、282(90/4)P60、289(90/11)P104、313(92/11)P58、323(93/9)P106、330(94/4)P104、336(94/10)P120、377(98/3)P85、379(98/5)P99、440(03/6)P96。
 現代 日本の私鉄・I(鉄道ジャーナル社1981)付録2
 現代 日本の私鉄・II(鉄道ジャーナル社1981)P12-15。
 私鉄の車両2 小田急電鉄(保育社1985)P183(誤記あり)。
 カラーブックス852 私鉄ローカル線 諸河久・花井正弘(保育社1993)P144-145。

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