蒲原鉄道2001年4月10日追補、2005年11月20-23日レイアウト修正


五泉にて。モハ61

ここでは、1999年10月4日に廃線となった蒲原鉄道について記します。
内容は1998年5月にまとめたものに加筆修正したものです。
写真は1998年4月30日に撮影したものです。


TOPページへ / 鉄道のページに戻る

晩年の在籍車両 / 廃車等 / 沿革、他 / 参考文献

晩年の在籍車輌。(モハ41以外の全車1999年10月4日付で除籍された)

 ○モハ31
 最大寸法15,150×2,720×4,115。定員104、座席定員44。自重26.6t。主電動機TDK31SC。56kw×2。台車日車BW-78-25A。1923年7月蒲田車両製作所製造デ1の改造車だが実際は元名鉄の木造車モ455であったデ101(モハ21)の台車に1952年10月東京電機工業の出張工作で車体を新製。正面2枚窓、2扉。1962年5月に西武所沢工場で総括制御可能に改造、乗務員室扉追加。後ワンマン化。1989年頃白を基調とした塗色に変更され、おさかな列車として運転されていた由。村松駅構内に留置。

 ○モハ41 写真
 最大寸法16,700×2,720×4,105。定員108、座席定員48。自重22.0t。主電動機TDK31SC。56kw×2。1930年の全通時に日本車輌東京支店で新製したデ13(モハ13)の台車に1954年4月東京電機工業の出張工作でモハ31と同じ車体を新製(台車を譲ったモハ13はモハ51に改番)。正面2枚窓。当初2扉だったが1963年6月西武所沢工場にて車体の延長を行い3扉化。後ワンマン化。五泉市に譲渡、粟島公園で保存。2000年3月31日除籍。

 ○モハ61(上の写真)
 最大寸法17,000×2,725×4,110。定員110、席定員48。自重27.5t。主電動機TDK31SC。56kw×2。台車TR10系。1940年4月日本鉄道自動車製造元武蔵野鉄道(現西武池袋線)サハ(クハ?)5856で1952年クハ1232に改造後クハ1233改番したものを西武所沢工場にて電動車化の上1958年1月に譲り受けた。3扉。1971年3月総括制御可能に改造後ワンマン化。ふるさと鉄道保存協会に譲渡、暫く村松駅構内に留置されていたが2000年12月5日に冬鳥越駅跡地に移設、保存されている。

 ○モハ71 写真
 最大寸法16,930×2,715×4,114。定員112、座席定員44。自重31.5t。主電動機TDK31SC。63.4kw×2。台車KS33L。1927年1月日本車輌製造。元武蔵野鉄道(現西武池袋線)デハ1322で西武鉄道時代モハ221、モハ215、クハ1211となり、これを電装の上1965年7月に譲り受けた。3扉。後ワンマン化。クハ10と共に個人に譲渡、村松-五泉間に置かれている。

 ○クハ10 写真
 最大寸法16,350×2,725×3,655。定員109、座席定員62。自重19.0t。1935年川崎車輌製造。元国鉄キハ41120(ガソリンカー。キハ41020との文献もあるが、多分間違い)を1949年10月21日(時期的にディーゼル化される前、つまりガソリンカーのまま。従ってキハ04を前身とする文献は間違い)に譲り受けた。1950年7月から制御車として使用開始。1961年1月西武所沢工場にて車体更新、片側貫通、前面3枚窓になる。セミクロスシート。台車TR26(気動車時代の物をそのまま流用)。モハ71に連結されて使用される。片運転台。まれに1両増結して3連で走る事もあった。モハ71と共に個人に譲渡、村松-五泉間に置かれている。

 ○ED1 写真
 最大寸法9,180×2,445×3,904。自重25.0t。主電動機TDK31SC。56kw×4。1930年日本車輌・東洋製造。25t凸形電機。村松−加茂間開業時からの車輌。村松駅構内に留置。

 ○ト1(1・2)
 最大寸法6,336×2,440×2,023。自重5.8t。積載量10t。1929年新潟鉄工所製。総計8両。

 ちなみに晩年の茶色と黄色のツートンカラーは旧西武色。ワンマンカーと言っても整理券発行機もテープ放送設備も無い。たった一駅の今泉駅からの乗客には運転士自ら乗車証明書を発行し、案内放送も肉声だったとの事。

 廃車等。

 1985年路線縮小後にモハ11・12・51・81・91が廃車。

 ○モハ11
 最大寸法12,432×2,574×4,100。定員82 56kw×2。1930年日本車輌製造。直接制御。庄内交通モハ1形と同形。廃車後、村松から廃線跡を1km程行った所に有る城跡公園に保存されている(近隣の村松町郷土資料館には蒲原鉄道の展示もある由)。

 ○モハ12 写真
 最大寸法12,432×2,574×4,100。定員78。56kw×2。1930年日本車輌製造。直接制御。庄内交通モハ1形と同形。後年ワンマン化された際に幅の狭い乗務員質扉が追加された。廃車後,村松駅構内に放置(解体されないのはワンマン化されているから?)。

 ○モハ51
 最大寸法12,432×2,574×4,100。定員82。56kw×2。1930年日本車輌製造。直接制御。庄内交通モハ1形と同形。当初はモハ13だったが台車をデ2から転用されたブリル76-E1に交換して改番した。旧台車はモハ41に転用されて晩年まで使用された。

 ○モハ81
 最大寸法15,850×2,740×4,200。定員100。41kw×4。1951年東洋電機製造。元越後交通長岡線モハ3002(3001?、1973年譲渡?)。片隅運転台。

 ○モハ91
 最大寸法12,944×2,744×4,206。定員80。45kw×4。1925年日本車輌製造。元山形交通三山線モハ106。切妻2枚窓。

 これ以前1976年3月には少なくとも以下3両の車輌があった。

 ○木造モハ21

 ○木造単車ハ1・2

 村松駅構内にある謎の物置化した車体はデ1形デ2。台車はモハ51へ。 写真
 デ2は1923年に製造され、1946年に引退、台車をモハ51に譲って車体が村松駅構内で倉庫として使用されてきた。村松駅構内施設撤去に伴い解体されると観測されていたが、2000年7月16日、ふるさと鉄道保存協会が行った「お別れイベント」の翌日、加茂市から譲渡の申し出があり、復元の上、モハ61と共に保存展示されることになり、2000年12月5日に冬鳥越駅跡地に移設、復元整備を待つ事になった模様。

 1973年に元越後交通モハ3001(3002?)が加わり、通勤時間帯に使用。

 五泉駅構内に放置されていた貨車群。写真

 1975年3月末現在の在籍車輌

 車輌総数22、客車総数12、電気機車1、制御電動車9、制御車1、有蓋貨車4、無蓋貨車3。(鉄道ファン172、75/8より。数が合わない。)

 沿革、他。

 軌間1067mm、架線電圧600V
 1922年蒲原鉄道創立。
 1923年10月10日(或いは20日)五泉−村松間が開業。新潟県下初の電気鉄道。
 1930年7月22日村松−東加茂間が開業。
 1930年10月20日東加茂−加茂間が開業、全21.9km。
 1965年度輸送人員302万人。
 1967年度輸送人員320万人。
 1978年度旅客輸送密度974。
 1979年度営業成績。旅客輸送人員140万人、延べ20万人キロ、旅客収入163百万円、貨物輸送量7千トン、延べ33千トンキロ、貨物収入270万円、営業収入186百万円、営業費232百万円。営業キロ21.9km、車輌数機関車1、客車10。
 1980年夏 村松−加茂間廃止の方針が発表。
 1983年度輸送人員101万人。輸送密度627人。五泉-村松間1918人に対し村松-加茂間は320人。
 1984年12月4日運輸大臣に対し村松-加茂間17.7kmの地方鉄道運輸営業廃止の許可申請。廃止日は1985年3月31日。1985年1月に申請が認められる予定。
 1985年3月ダイヤ改正。大蒲原駅が交換駅(に復活?)となる。
 1985年3月31日、村松−加茂間17.7kmが廃止。営業キロ4.2kmになる。最終日は12+51+41+11、91+10+71+81の4連2本で運行。新潟大学鉄研、日本レイルファンクラブ製作のヘッドマークを取付。最終加茂20:15発の列車はED1+11+12で運行。廃止区間は1日13往復、全て単行で運転されていた。
 1985年7月28日廃車部品の即売会(予定)。実際に行われたかどうかは不明。
 1996年度に貸切バス部門が赤字に転落。経営は厳しい。
 1997年10月1日合理化で1日25往復を19往復に削減。
 1997年10月27日五泉市と村松町の補助合意を受け10月27日23往復になる。
 1998年度、1999年3月限りで鉄道全廃を表明。
 1999年6月11日廃止対策協議会において、鉄道の廃止と代替バスを1日18往復運転することで、五泉市、村松市と正式に合意。9月末に廃止を見込む。
 1999年10月3日、実際にはこの日をもって営業運転を終了した。最終日はモハ41+クハ10+モハ71(+ED1)の3連もしくは4連で運行。
 1999年10月4日付で営業を廃止。

さあ、新潟に行こうか。
ゆこゆこで温泉に入ろう!

 参考文献。

 旅と鉄道:62(87冬)P50、85(92秋)P79、121(99秋)P98、124(00春)P131。
 鉄道ピクトリアル:534(90/10増)P181、652(98/4増)P120、129、692(00/10増)P102、199。
 鉄道ファン:172(75/8)P17、62、360(91/4)P122、436(97/8)P16。
 鉄道ジャーナル:92(74/12)P15-18、217(85/3)P102、218(85/4)P106、219(85/5)P142-143、221(85/7)P109、237(86/9)P132、277(89/11)P88、282(90/4)P60、289(90/11)P104、313(92/11)P58、323(93/9)P106、376(98/2)P80、378(98/4)P115、330(94/4)P104、336(94/10)P120、396(99/10)P93、398(99/12)P102、409(00/11)P103、414(01/4)P96。
 現代 日本の私鉄・I(鉄道ジャーナル社1981)付録2。
 現代 日本の私鉄・II(鉄道ジャーナル社1981)P12-15。
 カラーブックス852 私鉄ローカル線 諸河久・花井正弘(保育社1993)P112-113、146-147。
 東京新聞00/8/12夕刊。

TOPページへ / 鉄道のページに戻る