湘南色の電車ギャラリー(その1)
2006年1月22日新規、2010年11月15日修正。
橙色と緑色の湘南色の電車が無くなるとテレビや新聞で報じられてから1年。東海道線東京近郊区間から姿を消します。
ここでは、私が撮影した写真の中から湘南色の電車をピックアップして公開いたします。

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80系電車1
80系電車。藤沢駅に進入する。1976年8月。
この時は多分12両編成。夏の暑い時期で、客窓の多くが開いている。
橙色は警戒色として選ばれ、緑色はその対の適当な色として選定されたらしいのだが、これがミカン色とミカンの葉の緑と称されるようになったのは、この色が地元に認知された証拠だろう。ちなみにミカンの産地としては神奈川県は北限にあたる。

80系電車2
80系電車。藤沢駅にて。1976年秋頃。
東京口乗り入れ終了まで毎朝当たり前の様に走っていた。
この後間もなく東京口から姿を消す。
湘南電車の代名詞となっていた80系電車だったが、活躍期間は27年ほどで、後輩の111・113系電車よりずっと短かった。
左にちらと見える電気機関車はEF12かEF13。
写真は藤沢駅北口からホームへの跨線橋から撮ったもので、東京方を見ている。前に見える跨線橋と共に橋上駅化に伴い撤去されている。ビルの緑屋の看板も懐かしい。湘南ライナーホームは勿論まだない。


153系電車1
クハ153型0番台車を先頭にした急行「伊豆」。藤沢-辻堂。1981年。
後継の185系電車が登場し、運用離脱直前の姿。
最初に準急「東海」(後に急行になり、後に特急。2007年3月で廃止)に使用された為、「東海型」と言われていた。
153系電車は優等列車用として前面貫通としながらも後退角を大きく取り、パノラミックウインドウとして新しい高速電車としての相応しいデザインになるよう意が払われた。
この後このデザインが近郊型にも拡大採用されてしまった為、優等列車らしさが薄らいでしまった。
貫通路の幌受けが面一でスッキリしているのが後の111系電車や165系電車にない美点である。

153系電車2
急行列車(多分「伊豆」)の先頭に立つクハ153-500番台車。藤沢-辻堂。1981年。
1961年製造分から前面構造を強化し、運転台を300mm上げ前面形状が変わり、500番台として区分された。
写真は前面の貫通路に幌が取り付けられた状態である。


サロ163
幻の163系電車のグリーン車サロ163。東京駅。1980年3月。
サロ165から耐寒耐雪装備と抑速ブレーキ回路を省略した車輌である。
近郊型の111系電車、その出力増強版が113系電車、更にその山岳寒冷地向けで抑速発電ブレーキ装備が115系電車というラインナップに倣って、153系電車の出力増強版の163系電車と山岳寒冷地向け165系電車が計画されたが163系は没になり、何故かサロ163だけが7両造られた。
113系電車が電動車だけで他は111系電車と兼用だったのに、153系電車で不足するグリーン車(当時は一等車)をサロ152の増備とせず、わざわざサロ163とした根拠が不明の謎の形式である。
並行して設計されていたサロ165と装備は殆ど同じで、サロ152と比べると台車がTR59からTR69に変更され、客窓の取っ手が窓の上縁からガラスに取り付けられた丸いツマミに変更されている。

クモユニ74
クモユニ74を2両連結した347M。1980年3月。浜松駅?。
大垣夜行として永く親しまれた列車で「ムーンライトながら」の前身。当時は347M列車。153・165系電車の15両編成に郵便荷物車2両を連結した堂々の17両編成だった。
クモユニ74は旧性能電車だが、荷物電車のクモニ83と共に、新性能電車との併結が日常的に行われていた。
写真では判りづらいが、クモユニ74の側窓の下に「郵〒便」のステッカーが貼られている。
昔は夜行列車が新聞輸送を担っていて、この車輌にも朝刊が載っていた筈である。郵政省が鉄道による郵便輸送をやめてからもう大分立つが、その時に郵便車は全滅した。

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