ブルートレイン(その3)
東京口の機関車牽引寝台列車の1

2009年3月22日新規
2009年3月に東京口の機関車牽引による寝台列車が廃止されてしまいました。
ここでは、東京口の機関車牽引の寝台列車を取り上げます。

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藤沢はやぶさ
藤沢駅に進入するはやぶさ。1976年8月。
車両は当時最新の24系客車。EF65型500番代(P型)が牽引している。
12系客車以後、車体の色がそれまでの20系客車の青15号とクリーム1号の組み合わせから、
より明るい青20号とクリーム10号に変更され、窓上の細い色のラインがなくなったことと合わせ、
20系に合わせた塗色の機関車と色が合わなかった。
「はやぶさ(隼)」とは鷲鷹鳶の類の猛禽だが、ヘッドマークで「はやぶさ」らしさを出すのに苦労したと聞いている。
「はやぶさ」は当時は鹿児島本線経由の西鹿児島(現在の鹿児島中央)を目的地としていたが、1997年10月に熊本打ち切りになり、
1999年12月から「さくら」と併結、2005年3月からは「富士」と併結と変わり、2009年3月をもって過去のものとなった。
この場所は「富士」「はやぶさ」の終焉には相当な人だかりでここを走る乗務員から苦情があったようだ。
このころは柵もなく、立入禁止のラインはホームより下がった位置にあって、写真の視点からの撮影が可能であった。
最近はマナーが悪い輩が多く、規制はきつくなる傾向があって残念だ。
ネガの保存状態が悪くて申し訳ない。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II

あさかぜ藤沢
藤沢駅に進入するあさかぜ。1976年8月。
20系客車がデビューして以来、ずっと「あさかぜ」に使用されてきた。
EF65の色、帯の位置も合わせられていて、バランスも取れている。
「あさかぜ」は博多、下関を目的地とし、2往復の設定があったが、博多行きは1994年12月、下関行きも2005年3月に廃止された。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II


藤沢-富士
藤沢駅に進入する「富士」。1976年8月。
こちらは24系客車である。
当時の「富士」は日豊本線経由の西鹿児島(現在の鹿児島中央)行き、日本最長の列車であったが1980年10月に宮崎までに短縮、
1990年3月に南宮崎へ一駅延長したが、1997年11月に大分打ち切りとなって2005年3月から「はやぶさ」と併結となった。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II

銀河側面表示
上りのラストはこの「さくら」。藤沢-大船、1977年1月。
こちらは14系客車である。
「さくら」は長崎、佐世保を目的地としていたが、1999年12月に佐世保行きが消滅、
「はやぶさ」と併結されるようになったが2005年3月に廃止された。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II

みずほ
「みずほ」。藤沢-大船。1977年1月。
「さくら」と同じ14系客車である。間合いの関係から、「みずほ」と「さくら」は編成を交互に使っていた。
「みずほ」は長崎、熊本を目的地としていたが、1994年12月ダイヤ改正で廃止されてしまった。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II


紀伊・いなば
「紀伊」「いなば」。藤沢-大船。1977年5月。
EF58牽引で、ヘッドマークもなく、地味なイメージだった。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II

紀伊・いなば中間
「紀伊」・「いなば」の連結部分。右(上り方)が「紀伊」。藤沢-大船。1977年5月。
北陸トンネル火災を受けての対策工事によるスハネフ14の所要両数不足を補うため、スハフ14が連結されていた。
スハフ14のドア脇に緑色の指定席札が刺さっているのが見える。
「紀伊」は紀伊勝浦、「いなば」は米子を目的地とし、「いなば」は1978年10月に出雲市行きに延長し「出雲」に統合、
「紀伊」は1984年2月に廃止された。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II

いなば
「いなば」最後尾。藤沢-大船。1977年5月。
地味な列車なのでオマケ。
キヤノンぺリックスQL FL50mmF1.4 フジカラーF-II

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