小田急電鉄3000形SE車ギャラリー
2005年12月11日新規、2006年5月21日写真追加・記述修正。

3000形SE車の所蔵写真を公開いたします。

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藤沢駅進入
藤沢駅に進入する。1977年頃。
ホームの下に沈み込むような感じがいかにも高速電車という感じだった。ホームも木造で、駅の様子も今とは大分違う。

運転台
運転台。電圧計までひと纏りにされて突き出た計器盤が特徴。1977年頃。
新製時は、計器盤の計器は一つ多く、6連であった。
計器盤上の左右の金具は防弾ガラス取付用で、使用されない為、内側に倒されている。


室内
4号車から5号車(新宿)方を見る。壁面に時計がある。1977年頃。
壁は木目調だが、登場時は貫通路部分の壁も側面と同じ明るい色調の物で、窓上のイメージカラーのオレンジラインも妻まで回っていてそこから上は白かった。御殿場線乗り入れ改造時に掛け時計設置と合わせ、3100形に合わせたものの様だ。この後、車体修理時に7000形に倣ってクリーム色のシボ模様の壁面に変更されている。
日本車輌の製造銘板が見えるが、写真の白地の物は御殿場線乗り入れ改造時頃の時代の物と推察され、この時に新調された可能性が高い。オリジナルは黒っぽい地色だった筈。現在海老名に保管されている物に取り付けられているのは車体修理時に取り付けられた当時の日本車輌の様式の青地の物である。
床は台車部分が一段高くなっており、スロープになっているが、さらに台車直上には円盤があって一段高くなっており、凸凹。電動機の点検蓋が見える。
カーテンではなく、巻上げ式のブラインドだった点に注目。当初冷房装置が無く、窓を開けて走行する時、カーテンだと恐ろしい事態になる事がある為だ。

重連
藤沢駅にて。重連時の連結部分はこんな具合。1977年2月。
後ろにある信号所の建物は後に撤去された。
国鉄線乗り入れ用のATS-Sの設置を示す「S」のマークが付いている。
乗務員扉は高さ1400mmしかなく、手摺が無い代わりにステップが両側に付いている。



3041F3041号。藤沢。1981年。
車体修理前は写真の様に屋根のキセが何故か黒かったのが目立つ編成だった。
乗務員扉右上のサボ受けには赤いサボが入っているが、裏っかえすと「新宿−御殿場」の表記が出現する。
形式、検査表記が妻面の外幌の外側、隅っこにあるのが見える。写真では判りづらいが、2両目客用ドアの右上にあるサボには「B号車」と書かれている。重連時以外は意味を持たない。裏っかえすと「A号車」って書いてあるんだと思うのだが、自信なし。これらサボ受けは新製時にはなく、御殿場線乗り入れ改造時に取り付けられたものらしい。
カーテンが設置されている事に気が付いた人は鋭い。実はこの編成、早い時期に側窓が固定され、ブラインドを撤去してカーテンを取り付けていたのだ。ブラインドの故障が多かった為らしい。但し、3000形SE車のページの写真の様に側窓を固定せずにカーテンを取り付けてしまった車両もあった様だ。


3041F。藤沢。1985年3月。
車体修理直後のSE車。偶然にも上の写真と同じ3041F。
側窓はアルミサッシを固定する際に周囲が埋められやや小さくなっている様だ。
屋根は全面的に改修され、クーラキセがボルトオンの物に交換され小振りになったのが目立つ。
他に乗務員室扉両側のステップが手摺に変更され、外幌が7000形に倣ってウレタン芯の物に交換されているといった変更箇所がある。
現在海老名に保存されている3021Fは上り方先頭車の前頭形状のみ登場時に似せて改造されているが、それ以外はこの形態であって、実際にはありもしなかった形になってしまっている。

B号車の特急券
3000形SE車重連時の特急券。
重連時は座席番号が重複する為、連結された二つの編成をA号車、B号車と呼び、写真の様に特急券にA、Bの印が押されていた。
当時連絡急行と呼ばれた「あさぎり」があった時代の為、「特別」と「急行券」の間が空いている。「あさぎり」の急行券の時は「特別」に抹消線が、乗車券として発券された時は「特別」「急行券」両方に抹消線が印字された筈である。
「えのしま11号」ではなく、「第11えのしま」という風に呼称していた時代の為、券面表示もその順序になっていたりする。
ちなみに小田急は第○の第の字は、略字(才に`が付いた様な文字)を使用していたのだが、コード表には載っていない文字で、ここで表記できないのが残念。
縦の点線のすぐ脇に「小」の字があるが、これはこの点線で切り取られた切符が小児用であるという意味だと思われる。硬券で良く見られた大人/小児兼用の様式が何故か機械発券の切符でも見られたのだ。

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